征服者-Conquistadores- -9-

コンキスタドレスと瞬が誘拐犯と相対した頃、移木窓花は冷たいコンクリートの床の上で目を覚ました。

「ん…?」

狭く薄暗い部屋の中、不安げな仕草でキョロキョロと周囲を見回すと、エレンが縄で幾重にも縛られ、部屋の隅に転がっているのが見えた。その隣には彼の帽子が無造作に落ちている。

「エレン…っ」

 慌てて駆け寄り頬を軽く叩くと、微かにエレンの瞼が動いた。ゆっくりとした動作でレターラが目を開く。普段は髪に隠れている銀と蒼のオッドアイが窓花を捉えた。

「ハナ、ちゃん……?」
「エレン、だいじょうぶ?」
 窓花は心配そうに尋ね、エレンを拘束する細い縄に手をかける。けれど窓花の小さな手では縄を解くことは叶わない。

「それ以上ひっぱったらハナちゃんが怪我しちゃうよ」

 エレンが慌てて制止させようとするが、窓花はふるふると首を振り、今度は縄の結び目を懸命に弄りだした。普段こうしたことをしないため、窓花の小さな手はすぐに細く荒い縄の所為で紅く磨れてしまった。エレンはそんな窓花を見、ふと思い出したように動かない体を無理矢理にじたばたさせる。

「ね、ハナちゃん。ミーの鞄知らない?」
「かばん?」
「ミーがいっつも持ってる鞄。あの中に、鋏かなんかあった気がする」

エレンの言葉を受け窓花は暗い部屋の中で必死に目を凝らす。しかしどこを探してもそれらしきものは見当たらない。

「…ないわ、エレン」
「うっわ〜……早くここ出て探さなきゃ……プルートに殺される……」

 エレンが上司の怒った表情を思い浮かべサッと青ざめた。

「あれ二代目なのになぁ……はぁ……」
「レス……瞬……」

 二人の連れならば、こういう時にすぐに外してあげられるのだろう。窓花は自分の無力さに少しだけ泣きそうになったが、ここで泣いてもエレンに心配をかけてしまうだけだ。溢れそうになる涙を必死で堪え、何を思ったか駆け足に鉄でできた扉に近寄る。

「ハナちゃん? どうしたの?」
「でるの。エレンのかばんをさがすの」
「……出るって言ったって、どうやって?」
「わからないわ。でも、でるの。エレンのかばんはだいじなものなのでしょう?」
「そりゃそうだけど……あの男の人が外にいるかもしれないし……」

 その言葉に窓花は少し止まって考える。もしかしたらまたエレンに痛いことをするかも知れない。けれど…

「わたしがまもるわ。さっきはエレンがたすけてくれたもの」
「ハナちゃん……でもあんまり無茶したら、ルキナスに怒られるよ?」
「それでも、エレンはわたしのせいであのひとになぐられてしまったのよ……?」

 エレンは何度か口を開いたが、何と言っていいか分からない。
 その間にも窓花は鉄の扉に手をかけノブをガチャガチャと動かしてみる。しかし鍵がかかっているのか扉はガタガタと音を出すだけで、ただ冷たい感触だけを伝えてきた。その時。

「あ……ハナちゃん、そこから離れて! 誰かいる!」
「え……?」
 唐突なエレンの台詞に窓花が戸惑っていると、ガチャリと外から鍵が外れる音が響いた。

「……!」
「ハナちゃん、こっち来て! 早く!」

 無理に腕を紐から外そうとするが、更に紐が手首に食い込んできた。エレンは小さく舌打ちするが、何も変わらない。ゆっくりと鉄製のノブが廻り、人影が入ってくる。けれど外からの逆光で誰かは分からない。

「……何をしているんだ」

 唐突に入ってきた誰かが口を開く。テンションの低い、少年らしさが僅かに残る無感動な声。

「…瞬?」
「窓花、エレン、無事か?」

 入ってきた瞬は普段と変わらぬ低いテンションで問う。コンキスタドレスと同じ染一つない白いワイシャツは何故か少し汚れ、胸や腹のあたりが何かに貫かれたように丸く破れていた。瞬はドアの前で佇んでいる窓花を抱き上げ、エレンに近づいていく。

「あ……瞬。不審者かと思った……」
「不審者か。俺からすれば、お前の上司の方がよほど不審者だと思うがな」

 疲れたような溜息を吐きつつ片手に窓花を抱いたまま、瞬は片手で器用にエレンの縄を外してやる。

「怪我は?」
「頭殴られたけど、別に平気」

 エレンは解放されたと同時にパッと帽子を被り、漸く安心したように肩の力を抜いた。

「頭か。……瘤もできていないみたいだが。窓花は?」
「わたしもへいきよ」
「そうか。よかった」

 軽く安堵の息を漏らし、瞬はふと思い出したように背中へと手をやる。

「落ちていたぞ、エレン」

どこに隠していたのかエレンの大きな鞄を背から取り出し、差し出す。

「ミーの鞄! ありがと、瞬! どこに落ちてた? 中身出てなかった?」
「何処も何も、ここの扉の前に口を閉じたまま落ちていた。器用なことをすると思ったが、目印というわけでもなかったようだな」

 どうやら目印だと思ったらしい。エレンは半分瞬の話を聞いていないようで、鞄を開けて中身を確認していた。

「水筒……手紙……あ、キャサリンがいない! ……また探すの面倒臭い……」

「キャサリン?」

「探してって依頼された猫。すっごいブッサイクなの」

 エレンが口を尖らせてパタンと鞄の口を閉じる。よく見ると微かに手の甲に猫の引っ掻き傷があった。

「そんな猫よりも先に考えることがあるはずだ、エレン」
「? 何?」
「窓花はお前の上司だろう?」
「そうだよ? 上司だし、お友達だよ?」
「お前はその上司でお友達の誘拐の手伝いをしたんだぞ? どうなるかは目に見えているような気がするが」
「……ごめんなさい」

 エレンはシュンと項垂れる。瞬は呆れたような溜息を吐き、エレンの帽子のてっぺんを眺める。

「俺に言われても仕方がないだろう。俺よりももっと怖いものが俺と一緒に来ている」
「あっ! わっ、どうしよ。ミー死んじゃう?」

 恐る恐る瞬を見上げるが、瞬は相変わらずに無表情でポツリと呟く。

「遺書(テガミ)ならば受け取るぞ」
「……ミーは運ぶ側であって、書く側じゃないから書き方知らない」
「思い残したことや謝罪でも書いておけ。アレの気が静まる程度にな」
「……何書いても絶対許してくれない気がする……」
「コンキスタドレスは死者に対しては寛容だ。遺書でも謝罪するくらい誠実な態度ならば三途の渡し賃くらいは棺に入れてくれるだろうな」
「やっぱりミー死ぬんだぁ………」

 エレンは絶望感に満ちあふれた表情で膝に乗せた鞄に顔を押し付ける。

「エレン、しんじゃうの?」

 窓花が状況を飲み込めていない表情で問うが、誰も答えない。

「とりあえず、外に出るぞ。そろそろコンキスタドレスが暴れている気がする」

 瞬が無感動に二人を促す。窓花は瞬の腕から離れ自分で歩き出し、瞬もそれに続く。エレンは慌てて二人を追った。


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