征服者-Conquistadores- -10-

「黒髪のガキ……一体どこに?」

 一方、男は廃工場の中を必死に探していた。
 機材の裏側から柱の影、考えられ得る全ての場所を調べたが、瞬の姿は一向に見当たらない。

「あれだけの出血だ。そう遠くへ行けるはずはない……」

 うわごとのように呟きながら辺りを探し続ける様は一種異様であったが、男は気にする余裕もなく、半ば這いずるように探し続けるがやはり瞬は何処にもいなかった。
 その時、先ほど足場にしていた二階のキャットウォークでゴソリと物音がした。

「……あんなところに…あれだけの怪我で一体どうやって…」

 先ほど散々探した場所だが、そんなことはどうでもいい。殺し損なえば、報復される。あの征服者コンキスタドレスの助手なのだ。
 けれど、ふと思い出す。あれだけ恐れられていたコンキスタドレスですら、自分のマシンガンの前に一撃で倒れるほどに弱かったのだ。その弱い奴の助手を、何故恐れる必要があるのか。男は急に強気になり、悠々と機材を伝い物音の方へと登っていった。

「これ以上の抵抗は無駄だ。大人しくしていろ」

 余裕の笑みを浮かべ、男は物音の方へ呼び掛ける。もう音は聞こえなかったが、それはその場から移動していない事をこちらに教えているようなものだ。

 男はほくそ笑み、わざと足音を響かせるようにしてゆっくりとキャットウォークの柵へと手をかけた。
 また、ゴソリと物音がする。最後の足掻きじみた愚かな行為に冷笑を浮かべ、男は柵を乗り越えキャットウォークへ足を下ろした。
 物音がした場所はここから数歩、目と鼻の先だ。その奥は壁で行き止まりになっており、正に袋の鼠状態。手の中のマシンガンを弄びながら歩み寄って行けば、怯えるようにまた物音がした。壁と機材の間に隠れているらしく、未だその姿は見えない。

「随分手間をかけさせられたぞ」

 男は笑みを浮かべたまま機材の後ろを覗きこむ。しかし、物音の正体であろう黒髪の少年はどこにも見当たらない。

「何故だ。確かに、ここで……?」

「どこを見ているんだ?」

 うろたえる男の背後から涼やかなテノールが響く。驚いて振り向けば、先程殺したはずの征服者が悠然と微笑んでいた。

「な、何故……っ」

 恐慌に引きつった男の言葉にコンキスタドレスは微笑を深めた。その手には男の背後にある機械のコードが握られている。戯れにコードを引けば、ゴトリと先程と同じ音が響いた。

「当然だろう。私は不死なのだから。…あぁ、もちろん瞬もね」
「ふ、不死だと? ふざけた事を……っ!!」
「悪魔からね、魂を買い取ったのさ」

 コンキスタドレスは不敵に笑い、高らかに宣言する。

「さぁ、名誉挽回レコンキスタを始めようか。私の姫君の手を出した事、たっぷりと後悔させてやろう」

 コンキスタドレスは腰に差した西洋剣を鞘から抜き放ち、優雅な、けれど隙のない仕草で男に突きつける。時代錯誤の武器を向けられ、男は取り乱しながらも握り締めていたマシンガンをコンキスタドレスに向ける。
 彼我距離は約一メートル。しかしコンキスタドレスの剣は長く、彼自身の腕の長さと相俟って、切っ先は男の喉元まで迫っている。対して男の銃は大ぶりなものの、既に幾度となく引き羽を引いた後なので、弾丸は一発たりとも残ってはいない。それでもまるで縋るように使えぬ銃を握り締める様は酷く滑稽だった。

「この剣は特別製でね。私が征服者を名乗り始めた頃に黒魔術を嗜むスペインの鍛冶師に造らせた特注品だ。刃がないから斬る事は叶わないが、突き刺す事に関しては他の何にも引けを取らない自信がある。当時は国土回復運動の真っ只中だったからこの剣コレも随分長い間私と共にある事になるな。その意味では、この剣にこそ【征服者】と名付けるべきだったのかもしれない」

 子供が買ってもらったばかりの玩具を自慢するような口調で説明をするコンキスタドレスの瞳は、言葉とは裏腹に酷く冷ややかだ。獲物をいたぶる猛禽獣の瞳はただ冷たい憎悪と怒りに暗く燃えていた。

「私はこれで幾度となく人間を屠ってきた。動物などにも使用した事はあるが、人間の数には比べる意味すらない。近代に入ってからスイス辺りで隠居していたので使う事も殆どなくなったが……叶うならば姫君の存命中は使いたくはなかったね」

 酷く淡々とした台詞が逆に恐ろしい。足の力が抜け埃っぽい床へ座り込んだ男に、コンキスタドレスはふっと微笑みかける。

「私は私の道を阻むものが何よりも嫌いだ。そして、それと同等に私の姫君をいたぶる下種も嫌悪している。その両方に侵略してきているお前は、さて、私にどうやって殺されるのが相応しいのだろう」

 絶対零度の笑みを向けられ、男はただ呆然とコンキスタドレスを見つめている。
 恐ろしい。
 何故自分はこんなバケモノを相手にしているのだろう。
 何故こんな奴に手を出そうなどと思ってしまったのだろう。

『移木には決して手を出すな』

 上司が耳に胼胝ができるほど自分達に言い聞かせていた筈の言葉。あの何事もチェスでもやるかのように淡々と詰めていく彼が、この組織に積極的に関与しなかった理由が今痛いほど良くわかる。しかし、幾ら後悔しても後の祭り。己の目の前には【征服者バケモノ】が魂を刈り取ろうとする死神の如く嗤っていた。
 こんな奴に殺されたくはない。俺は、俺はこんなところで死ぬわけにはいかないこいつを殺して主の元へもどってこんなとこでしぬわけがないありえないおれはおれはおれは――――……
 男が錯乱し始めたその時、廃倉庫の奥へ続く扉が軋んだ音を立てて開いた。その耳につく音で男はふと我に還る。確かあそこには移木の総帥を……

「それくらいにしておけ、コンキスタドレス」

 開かれた扉から入ってきたのは、閉じこめたはずの移木窓花の手を握った、先ほど殺したはずの征服者の相棒だった。


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