征服者-Conquistadores- -6-
脳に達した弾丸は、意識の底から過去を引き連れてくる。
俺たちが不死となった時の記憶を…――
俺が故郷の雪山でコンキスタドレスに出会ってから三ヶ月。
ドイツで黒魔術を学んでいた俺たちは、バイエルン州のとある城で行われる黒ミサに参加することになった。
会員制だったその黒ミサは、普通ならば長い間黒魔術を学び、なおかつこの城の城主と親交が深い者しか参加できなかったという。しかしコンキスタドレスは俺に会う以前から黒魔術を学んでいたようで、そして今回はどういうルートを使ったのか、あっという間に城主を丸め込み、半ば強引にミサに参加することを許可させた。俺はその助手として、ろくな知識もないままに引っ張って行かれたのを覚えている。
城の奥の狭く薄暗い一室。
部屋の奥には、逆さに取り付けられた十字架と黒いビロードか掛けられた祭壇があった。祭壇の手前には、円のなかに五芒星や文字が書き込まれた図案が描かれている。
隣に立つコンキスタドレスを見ると、彼はどこかつまらなそうな、けれど確実に何かを期待している矛盾した表情を浮かべてそれらを眺めていた。
そして、主催者である城主の厳かな宣誓の言葉と共に悪魔を呼び出す儀式が始まった。
厳かに進められる儀式は、静かな興奮に満ちていた。祓いを終えた参加者が、主催者の後に続いて繰り返し同じ呪文を唱え続ける。
床の中央に描かれた図形に皆が入り、円の外側を向くように全員が背中合わせに同じ言葉を繰り返している様は、何も知らない俺からすれば酷く滑稽に見えた。
今唱えている呪文は、どうやら悪魔を召喚するためのものらしい。
ふ、と片手に持たされていた蝋燭の炎が揺れた。だが息がかかって揺れたのとは少々違う揺れ方だったように思えた。周囲の人々の蝋燭も同じように揺れたらしく、抑えられていた興奮が音もなく爆発する。皆隣の者と言葉を交わしたいのを必死に抑えているようで、互いに高揚した顔を見合わせていた。
俺は隣のコンキスタドレスを見る。儀式が始まったときと変わらぬ涼しげな表情。ただじっと正面を見つめている碧い瞳は、凛とした強い意志を宿していた。
ゆらり、と手元の蝋燭の焔が大きく揺れる。壁に投影されていた自身の影がそれに合わせてぐにゃりと歪み、吹き消されたかのようにすべての蝋燭が一斉に消えた。周囲の興奮が波のように広がる。
「ぐぎょっ」
暗闇の中、誰かの叫び声が聞こえた。まるで喉を潰された鶏のような悲鳴に周囲が一瞬凍りつく。同時に響くのは濡れた生肉が堅い床に落ちる水っぽい音。
「今の、声……」
「主催者のじゃなかったか……?」
闇の中、数人が呟く。静寂の中、それは酷く大きく聞こえた。会話は暫くの間を置いてその場の全員に浸透した。
「いやぁぁっ!」
参加者の一人がパニックになって叫ぶ。この儀式に参加していた女性は城主の妻一人だけだったから、恐らくは彼女だろう。その悲鳴をきっかけに人々は恐慌状態に陥った。闇に慣れ始めた目に、数人が恐怖で部屋の出口に走るのが見えた。けれど。
「ぎゃっ」
「ぐはっ」
円を出た途端、彼らの体はまるで猛獣に引き裂かれるように千切れ飛んだ。
それを見て、儀式の前にコンキスタドレスが教えてくれたことを思い出す。
『魔法円は儀式中においては参加者を守護する結界のようなもの』
それならば、この円の外には悪魔がいるのだろうか。
周囲のパニックは徐々に激しくなり、混乱のまま円の外に出るものが続出した。きっと彼らの中には落ち着いて闇に 目を慣らすなんて思考は存在していないのだろう。もしも慣らしていたらならば、円の外に出ることがどういうことかがはっきりと視認できていたはずだ。
円の外に足を踏み出したら最後、見えない猛獣は参加者を次々と屠っていく。
そして、円の中に残っているのはコンキスタドレスと俺だけになった。
円の外には血生臭い肉塊が乱雑に転がっていた。儀式が始まってから同じ場所を動こうとしないコンキスタドレスは、パニックのままに円の外に転がり出る人々を冷めた目で見つめていた。
「……どうするつもりだ?」
俺の問いかけにコンキスタドレスは薄く笑う。
「簡単なことだ。この場には悪魔がいる。不慮の事故だが結果的に生贄も捧げられた。ならば後は願うだけだろう?」
俺は背中に冷たい汗が伝うのを感じた。生贄とは恐らく悪魔の犠牲になった人々だろう。
顔を合わせなくとも、彼が静かな歓喜に包まれているのが感じられた。このすべての条件はそろった今、不死という彼の願いが叶おうとしているのだ。
「聞け!」
コンキスタドレスの声が闇の中に凛と響く。
「神の名において私は命ずる。私の前に姿を現せ」
強い意志を持った響きに空気が歪む。
いつの間にかコンキスタドレスが見つめる先、黒い祭壇に腰掛けるように黒い衣装を纏った男がいた。だがその容姿はとても普通の人間とは言い難い。サフラン色のローブを纏ったがっしりとした体躯には口元が血に濡れた狼の頭が乗っていた。片手にも血に濡れた短槍を持ったその悪魔はどっかりと祭壇に座り、コンキスタドレスを無遠慮に上から下まで眺め回した。
「願いは何だ」
暫くコンキスタドレスを眺めた後、腹に響く低い声で悪魔は問う。威厳に満ちた声は、無意識のうちにそれの前に跪くことを強要していた。
けれどコンキスタドレスは先程と変わらぬ強い意志を宿した瞳で悪魔と対峙している。
「私の願いはひとつ。この世界を見続けるために不死の命を得ること」
はっきりとした意思表示に、悪魔は猛禽類の瞳を不快そうに細めた。
「人間の命を延ばしたところで不死になることは不可能だ。人間の魂は不死になれるようにはできていない」
「ならばお前の魂をよこせ」
「悪魔の魂をその身に宿すつもりか」
コンキスタドレスの言い草に悪魔は驚いたように僅かに目を見開く。コンキスタドレスはさも当然だというように大仰に頷いた。
「悪魔は不死なのだろう。私はその願いのためならば手段はあまり選ばない」
悪魔を見据える揺るぎない瞳。悪魔はコンキスタドレスをじっと見つめ、決して折れないとわかるとため息交じりに言い放った。
「代償は。そこに転がる肉片では不足だ」
俺たち以外の儀式の参加者は6人。その程度の犠牲では足りないと悪魔は言った。コンキスタドレスは一体何を差し出すつもりなのだろう。俺の視線に気づいたのか、コンキスタドレスはこちらを見て小さく笑う。
「さすがにお前を差し出すようなことはしない。瞬は私の目なのだからね」
だが悪魔は今まで傍観者だった俺を、まるで今その存在に気付いたかのように見つめ、おかしそうに笑った。
「人間のくせに随分と奇怪な目を持っているものだな。バケモノと罵られても可笑しくはないだろう」
悪魔は酷く楽しげに笑う。この能力について何か知っているらしい。
「面白いものだ。呪眼を持つ人間など滅多にいないぞ。……これをもらおうか」
悪魔の言葉に俺は耳を疑い、コンキスタドレスは不満げに眉を顰めた。
「呪眼は我々のような悪魔にはよくある力だが、そこの人間の力はそれと同等。我は呪眼を持っていないからな。丁度いいだろう」
「それは困るな。私はこの能力を買って瞬を連れてきた。悪魔ごときに横取りされるつもりはない」
コンキスタドレスが悪魔の言葉に割って入る。しかし悪魔は首を横に振った。
「我は決めた。その力でなければ契約は結ばん」
「ならば還れ。私は瞬を交渉に使うつもりはない」
コンキスタドレスの言葉に俺は驚き思わず奴の袖を引いた。
この3ヶ月共にいただけでも、彼の不死に対する情熱は計り知れないものだと理解できた。それが叶おうとしているにもかかわらず、俺などの為に絶好の機会を捨てるなど正気の沙汰ではない。そのことをコンキスタドレスに告げると、彼は至極当然だとでも言うように言い返した。
「私はお前のその能力を買ったのだよ。それにお前自身も気に入っている。私は貪欲だからね。お気に入りをわざわざ手放すつもりはないのだよ」
そしてもう一度悪魔に向き直る。
「私は彼を気に入っている。いくら不死のためとはいえ、ようやく手に入れた相棒の大切な一部を失うわけにはいかないのだよ」
コンキスタドレスの言い草に悪魔は不満げに鼻を鳴らした。契約の上では自分が絶対的上位であるにも関わらず、人間ごときにこうも高圧的に出られるとは思っていなかったのだろう。
「我もその力はなんとしても手に入れたいものだ。ならばその一部はどうだ」
「一部だと?」
悪魔は一つ頷く。けれど俺たちがいまいち理解していないことを知ると小さな溜息交じりに仕方なさそうに説明した。
「その人間の力は制限や制約のない無尽蔵なものだ。故に我がその一部を奪うことで能力は多少制限される。例えば……そうだな、相手とはっきりと目を合わせねば読み取れない、といった風だ」
その方がお前も楽だろう、と悪魔は嗤う。
確かに今まで何もせずとも勝手に全てが流れ込んでくるのは苦痛以外の何物でもなかった。それが軽減されるというのならば願ったり叶ったりだ。
コンキスタドレスはまだ不満そうにしていたが、俺の能力が完全に消えることはないとわかると渋々頷いた。
「ならば契約だ。貴様ら二人に我の魂を分け与えて不死にしてやろう。代償は人間の魂6つとそこの人間の呪眼の一部だ」
悪魔は嗤い、その獣の口から硫黄の匂いの黒い煙を吐いた。煙にまかれると同時に酷い吐き気に襲われ思わず膝をつく。隣のコンキスタドレスを見ようにも、濃い煙は自分の体すら視認できないほどに立ちこめていた。
心臓を氷の手で鷲掴みにされたような錯覚に陥り、俺の意識は闇に沈んだ。
そして次に目覚めた時、俺たちは不死の体となっていた。しかし悪魔は本当に『不死』にしただけで、体の免疫や強度まで変えることはなかった。コンキスタドレスはそれに対し少々不満げだったが、一応の目的は達したため、俺たちは彼の望みどおり時代の流れを眺める旅を始めることにした。
浮かび上がった記憶は形を成したと同時にまた沈み、俺の意識は現実へと浮上する。
耳の奥に聞こえたのはコンキスタドレスの冷やかな声だった。
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