征服者-Conquistadores- -3-

 自由という物は酷く厄介だ。
 それを行っている者からすれば楽しい事この上ないのだろうが、それに振り回される周囲は例外なく多大なる迷惑を蒙る。
 そして現在、その自由を満喫しているコンキスタドレスに振り回される俺は、あまり表情が表れにくい所為で傍から見ればそうは分からないだろうが、酷く不機嫌だった。

しゅん、そんな仏頂面をしていても何も出てこないよ」

 不機嫌の原因であるコンキスタドレスはそ知らぬ顔で白磁のカップに満たされた紅茶を啜っている。
 コンキスタドレスをなんとか説き伏せてイタリアから脱した俺たちが現在居るのは、一時の拠点としている、日本の首都からほど近い白金に存在する移木うつりぎ邸だ。
 緩やかなアーチを描く銀色の門の両脇には先代当主の妻の好みで桜の大木が植えられている。そこから更に百mほど進んだ場所に、白を基調とした英国風の大きな屋敷が鎮座している。
 コンキスタドレスは屋敷の裏庭に面した二階のテラスから美しく手入れされた庭を眺め、邸宅の主である少女を膝に乗せて微笑している。その表情はまるで愛しい娘を眺める父親の様な穏やかなものだった。もちろん、結婚はおろか仕事ですら女性とあまり関わらないコンキスタドレスの娘ではない。

「…窓花(まどか)の相手をするのも大いに結構だが、次の仕事の当てはあるのか」

 ここに戻ってくるとどうしても遊び過ぎるきらいがあるコンキスタドレスに俺は冷ややかな視線を投げかける。もちろん、幼い窓花を怖がらせないよう口調は幾分か柔らかくしている。

「あるわけがないだろう。ついさっき帰ってきたばかりなのだから」

 涼しい声音で返し窓花の黄金色の髪を撫でるコンキスタドレスを殴りたい衝動に駆られる。けれど殴れば十倍以上の仕返しをされるのも分かりきっているので実行することはない。

「また彼の所に行けばいいさ。自称『敏腕仲立ち屋』の彼の元にね」

 旧友の名を出して済む話でもない。
 彼とは、コンキスタドレスの友人で仕事の仲立ち屋を営む男の事だ。コンキスタドレスと同様に異質な背景と雰囲気、妙なファッションセンスと扱いにくさを兼ね備えている年齢不詳の男。俺からすればコンキスタドレスを二人相手にしているような感覚だが、コンキスタドレスよりも更に性質が悪いのが難点だった。

「レス…またおしごと?」

 窓花がコンキスタドレスを見上げ尋ねた。大きな菫色の瞳が不安そうに揺れている。
 レースとリボンがふんだんにあしらわれたドレスを身に纏う十歳にも満たないこの少女が、裏社会の情報屋組織の主だと一体誰が想像できるだろう。
 両親を早くに亡くし、コンキスタドレスを父、または兄のように慕う窓花は、それでも国内に散らばる情報屋、あるいはそれに順ずる者達を統率する女王だった。
 しかしプライベートの今、彼女は親に甘える子供そのもので不安げにコンキスタドレスと俺を交互に見比べている。

「そんな顔をしないでおくれ姫君。私だって休みたいさ。けれど瞬が許してくれないんだよ。姫君からも瞬に言ってやるといい」
「窓花を使って休もうとするな。今年に入ってもう九ヶ月ほど経過しているが、まだ一回しか仕事をしていないぞ」
「一回半だ。一度途中で止めた」
「自慢げに言うな」
「けんかは、だめ」

 一見穏やかそうな、けれど確実に冷たい空気に窓花が小さな声で割って入る。争いごとを嫌う窓花は、自分にとって家族のような俺たちが口論しているのを見ていられなかったらしい。

「あぁ、すまなかった姫君。見苦しい所を見せてしまったね」
「すまない、窓花」

 コンキスタドレスと俺が仲直りしたと見て、窓花はようやく安心した表情を見せた。

「そうだ、姫君。この前姫君の気に入りそうな人形を売っている店を見つけたのだが、次の休みに行ってみないか?」

 ふとコンキスタドレスは言う。
 ぬいぐるみや人形などが大好きな窓花の為に、仕事で発つ前に調べていたのを思い出したらしい。ちなみにイタリアで購入してきた抱えきれないほどの土産物は、既に彼女の部屋に運ばせている。

「おでかけ?」
「そうだ。姫君も街に出るのは久しぶりだろう?」

 瞳を覗きこんで問いかければ窓花は嬉しそうに頷く。

「ルキナスにおはなししてくるわ」

 窓花はコンキスタドレスの膝から降り、彼女なりの駆け足――俺たちからみれば歩くより少々早い程度の速さ――で自室にいるであろう秘書の元へと走って行った。

「……いいのか?」
「何がだ?」

 窓花の姿がテラスから消えたのを見計らってコンキスタドレスに問う。そっけない返事と視線で先を促され、俺は渋々言葉を繋げた。

「窓花は仕事以外で外に出るのは禁止されているはずだ。外は誘拐等の危険が多い。あの堅物で心配性なルキナスが了承するとは思えないな」
「私が引率すれば問題はないだろう? それでも心配ならSPでも何でもつけるといい」
「それでは狙ってくださいと言っているようなものだ。窓花には悪いが……正直、外出は避けたほうがいいと思う」
「だが、姫君は行きたいと思っていたのだろう? 私たちが帰って来ると、いつも外の話をせがむ」
「確かにそうだが、あえて危険に晒す必要性もない。人形ならば俺達で買ってくればいい話だ」
「無粋だね。買物は自分で品物を見るからこそ楽しいのだろう」

 譲る素振りもないコンキスタドレスの様子に俺はしばし躊躇い、口を開く。

「……確かにお前は常人に比べて、いや、そんじょそこらのSPとは比べるべくもないほどの強さを持っている。だが基本的に誰かを守るということは能力的に不向きだ。お前も、俺もな。だからこそ、ライラの願いも含め、出来る限り危険は避けたい」

 ライラ、という名前に僅かに反応するコンキスタドレス。同時に俺たちの脳裏に浮かぶのは彼女との最期の約束だった。

『迷惑なお願いだとわかってはいるの。けれどあなたたちにしか頼めないわ』

 穏やかな日差しが差し込む屋敷の一室。その中央に据えられたキングサイズのベッドに、コンキスタドレスの好みから人工的に染めさせた漆黒の髪が広がり波のような模様を描いている。

『あの方はきっとこの子を愛してはくださらない。私のようにこの家に閉じ込めてしまうわ。それはこの子が女である以上変えられない現実。だからレス、私の最期のお願いを聞いて頂戴』

 ベッドヘッドに背を預け、腕に生まれたばかりの赤ん坊を抱いたまま、彼女は俺たちに懇願する。

『あなたたちが私にしてくれたように、この子にも会いに来てあげて。私ではあまり長く一緒にいてあげられないから。この子が寂しくないように、私の分までこの子を愛してあげて』

 ライラは菫色の瞳で腕の中の赤ん坊を愛しげに見、次いでコンキスタドレスと俺に視線を移す。その瞳に死の影を見て取り、コンキスタドレスと俺は静かに頷いた。
 元々、あまり体が丈夫ではない女性だった。
 血統を辿れば西洋でも王族に匹敵する貴族の血を持つ彼女は、しかし時代の流れで名ばかりのものと化した称号ごと、窓花の父である情報組織の総帥に半ば買われるようにして娶られた。そしてたまたま窓花の父親と手を組んでいた俺たちと知り合い、友人となった。
 子供を生めば自分の命が危うくなる、と医者たちは口を揃えて言ったが、彼女は『私の中にいる時点で、この子は私の子』と取り合わず、酷い難産だったが病弱でも健康な女の子を生み落とした。

『あの方がつけたこの【窓花】って名前、最初はあまり気が進まなかったの。だって窓辺の花よ? あの方にとってはあってもなくても同じだもの。けれど私は違うわ。使用人たちが窓に活けてくれる一輪の花は、この邸宅で寂しく暮らす私に沢山の元気を与えてくれた。この子にも、そんな花のように誰かに元気を与える存在になって欲しいの』

 ライラはそう言って微笑む。
 コンキスタドレスはライラの腕から赤ん坊を受け取った。赤ん坊はコンキスタドレスの腕には酷く小さく、少し力を入れれば容易く壊れてしまいそうな、ライラと同じく脆く儚げな印象を受けた。
 無意識に肩に力が入っていたのだろう。ライラは先程とは違う呆れたような微笑を見せ、ベッドの端に座るコンキスタドレスへ細い腕を伸ばし、肩を軽く揉んだ。

『ふふ。私は幸せね。この家にお嫁に来たときはとっても寂しかったけれど、こうしてレスや瞬のような友人が出来て、子供までできた。この子の将来は少しだけ不安だけれど、きっと大丈夫ね』

 赤ん坊を抱いたコンキスタドレスと、テラスへ続く大窓に背を預けていた俺を交互に見、ライラは満足げに笑った。
 それから間もなくして、ライラは静かに息を引き取り、俺たちは彼女の遺言通りに今まで窓花を見守り続けてきた。
 窓花の父親が組織の内乱で死んで組織を継いでからも、窓花はライラの予想通り外へ出る事はほとんどない。

「ルキナスも、恐らく反対するだろう」

 俺は繰り返し、溜息をつく。
 と、その時、テラスに入ってくる者があった。窓花と、そしてその秘書ルキナスだ。

「窓花から話は聞いた。どういうつもりだ、コンキスタドレス?」

 俺とはまた違う、感情をあえて押し殺しているような声音でルキナスは問う。組織の制服であるダークスーツをきっちりと着込み、窓花を守るように背後に立つ青年は彼女の護衛のようにも見えたが、その表情はどこか不安げだ。
今までコンキスタドレスが提案してきたことが功を奏したことは殆どない。この男はいつだってトラブルメーカーだ。

「私は姫君と共にショッピングを楽しみたいだけだよ?」

 コンキスタドレスは飄々と言ってのけ、クスクスと喉の奥で笑う。まるで自分たちを警戒しているルキナスを嘲笑うかのようなその態度に俺は僅かに眉を顰める。どうしてこの男はこうも人をからかうのが好きなのだろう。
 ルキナスは暫くコンキスタドレスを観察するように眺めていたが、やがて諦めたように息をつき、隣に立つ窓花の頭を撫でた。

「決して、窓花に傷一つ負わせるな」
「私を誰だと思っているんだ、ルキナス? いったい誰がお前を姫君の秘書として、SPとして鍛えたと?」

 コンキスタドレスの挑戦的な返答に苦笑し、ルキナスはそっと窓花を彼らの方へ押し出した。


←2    4→
文章部屋へ