征服者-Conquistadores- -2-

 俺の一番古い記憶は、白い。
 生まれつき何もせずとも他人の記憶や感情を読む能力を持っていたため、一八歳の時に家族から、近隣の住民から迫害され、住んでいた町を追い出されたのだ。
食料も防寒具すら与えられず、行く当てもなく町のはずれに聳える冬の山を彷徨っている俺の目の前に、一人の男が、まるで足元に深く積もる雪から生えてきたかのように唐突に現れたのだ。

「こんな山奥に人が居るとは驚きだな。一体何者だ?」

 足元は雪の山脈を歩くには相応しくない、俺達の住む地域では決して目にしない西洋風の革靴がその存在を主張している。

 男は風に黒髪とロングコートを靡かせ楽しげに問う。

「……ふざけた名前だな」

 能力のせいで無意識の内に知ってしまった男の名に、俺は思わず呟く。
 村に居た時ならばこういったことはひた隠しにしていたが、この男の前では隠さずともいいような気がしたのだ。
 たとえ母や兄弟のように気味悪がって嫌悪されたとしても、もう構わない。

「ふふ。面白い子供だ。気に入った」

 男は何が楽しいのか口元をつりあげ、俺の胸倉をつかんで己の目の高さまで持ち上げた。

「もう知っているようだが、一応名乗ろうか。私は征服者コンキスタドレス。永遠の命を探している」
「永遠の命……?」

 吊り上げられながらも呻くように俺は問う。
 問いながらも、目の前の男から伝わってくる感情でそれが冗談でもなんでもないことははっきりとわかっていた。それでも、そんな夢物語の虚言じみたことが信じられない。
 わけがわからない、といった俺の声音にコンキスタドレスは静かに頷く。

「そう。私はこの世界がひどく気に入っている。叶うならば、このまま時代の流れを見ていたいと思うのだよ。けれど人間の五〇年やそこらの寿命ではそれはあまりにも短すぎる。死ぬことを拒む気はないが、死んでも尚私という意思がこの世界の残るという確証はない。故に、私は永遠の命を探している。
 ……この山には人間の寿命を延ばし、仙人に至らせる『隠者の秘泉』という泉があると聞いてわざわざ来たのだけれど、駄目だね。そもそもこの山に泉などないようだ。あっても黄河に続く川の源流程度。私の求めているものとは程遠かった」
「お前…源泉に行ったのか」

 俺の地元でも、この国を横断するように流れる川の源流に行こうとするものなど誰も居ない。
 山肌が針のように幾つも突き出た山は危険な上、この地域で信奉されている神が住んでいるとされている神聖な山だからだ。
 俺がここに入ったのも、他に誰も入ってくることがないという、ただそれだけの理由だった。
コンキスタドレスは動揺で僅かに揺れた俺の言葉を鼻で笑ってあしらう。

「あれが泉? あれは唯の……そうだね、水溜りだよ。流れるうちに幾つもの湧き水と交じり、やがて大きな川になる。あれがその原点であることは確かだが、あそこ自体は単なる水溜りに過ぎない。あぁ、それとも」

 不意に言葉を切り、コンキスタドレスは俺の胸倉を離す。突然の事に思わず尻餅をついた俺に覆い被さるように屈み込み、視線を合わせてニィと笑う。

「お前はその泉の場所を知っているのかな? どうやら地元の人間のようだが、人目を避けている節がある。それは唯単に人間から逃げているだけか、それとも人知れず宝を得ようとする狡猾な衝動からか。もしも知っているのならば教えてくれないか? もちろん礼はする。黙っていても大いに結構だ。そのときは仕方がない。征服者の名においてこの場で斬り捨てよう」

 コンキスタドレスは腰をあげると、腰に差していた細い剣を鞘から抜き放ち、鋭い切っ先を俺の喉元に向ける。
西洋剣技フェンシングに使われる剣のような細く刃のない、まるで針を長く太くして柄をつけた様な風貌のその剣は、俺の住む国では見ることのないものだ。俺はそれを一度だけ、町にきた行商人に見せてもらったことがあった。

「西から来たのか」
「そうだ。この国には不死にまつわる神話や逸話が多い。故に訪ねてきたのだが、見つけたのは不老不死の妙薬ではなく、小さく汚れた子供一匹。それにどうやら秘泉の場所も知らなそうだ。殺してもいいのだが、そうだね。拾ってやってもいい」

 コンキスタドレスは剣を俺に向けたままふっと笑う。そしておもむろに切っ先を俺から逸らし、口を開いた。

「その能力に免じて、私の片手にしてやってもいい。右手か左手かはその後の働きに寄るけれど」

 能力のことなど俺は一言たりとも言ってはいない。まさかこの男も……?
 俺の驚愕に満ちた表情に、コンキスタドレスは馬鹿らしいとでも言うように溜息をついてみせた。

「まさか。私は単に読心術と勘を併用しただけだ。ここに来る前、町というのもおこがましい小さな集落で『他人の記憶を読めるバケモノが居る』という噂を聞いてね。私にそれを教えた女は『山に入っていったが、山は竜神様の聖域だ。すぐに成敗してくださるだろう』と迷信じみたことも抜かしていた。そして、お前は先ほどから私と目を合わせる事がなく、無意識のうちに私との関わりを避けようとしている節がある。この山は地元の人間は決して入らないと言うから、ここにいるお前は外部のものか噂のバケモノかのどちらかだ。私以外によそ者は来ていないらしいのでお前は町で噂のバケモノということになる」

 コンキスタドレスは楽しげに笑う。

「面白いものだね。バケモノと言われただけでこんな所へ逃げ込む腰抜けが、今私に剣を突きつけられて動じた様子がないとは。それとも、ここで殺される事を願っているのか」

 確かにそうかも知れない。俺は静かに頷く。何故か、この男には殺されてもいいような気がした。けれどコンキスタドレスはそんな俺を馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「は、自殺願望は大いに結構だが、それならば何故町から逃げた? あそこに留まれば、死ぬ事などたやすい事だろう。『心を覗けるバケモノ』。あの様子ならば、ここが聖域でなければ山狩りでも何でもして殺すような勢いだったぞ?」

 男は静かに笑う。

「それが嫌だから逃げたのだろう。それなのに私から逃げる様子がないなんて酷い矛盾だ。それともなんだね? お前は死ぬ場所と殺す者を選べる程偉い立場にいるのか? それならばこんな山奥ではなく、首都の南京など都市にでも出てそれらを探せばいい。私は無益な殺生はどちらかと言えば好まない」

 コンキスタドレスは剣の峰で己の掌を打ち、答えを急ぐように俺を睨みつけた。

「さっさと選ぶといい。ここで私の腕となるか、私の剣の錆となるか。それとも、バケモノはそんなことすら自分では決められないのか?」

 威圧的な口調で自分を見下ろす男を俺は静かな目で見つめる。
 きっとここで後者を選べば、この男は言葉を違えることはないだろう。事実、俺はこの場所で死ぬことを望み山を登ってきた。けれど今、生まれて初めて死ぬことが惜しいと思った。何故か、男の言う荒唐無稽な願いの先を見たいと思ったのだ。
『永遠の命』など人外の領域を望むこの男の未来を見てみたいと思う。
俺は雪の積もる大地からゆっくりと腰を上げる。ずっと座っていたためズボンの尻は濡れてしまっていたが、大した問題でもない。

「俺を連れて行け」
「ついてこれるならばね」

コンキスタドレスは満足そうに微笑み、黒髪とコートをふわりと靡かせ踵を返し、山を降り始める。
深く積もる雪の中をよろけもせずに歩いていくその背を追いながら俺は思った。
永遠の命などありえない。けれど、この男は必ずありえないそれを手に入れるのだろう。


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