征服者-Conquistadores- -1-
紅と黒が翻る。
暗闇の中、それは静かに笑っていた。
イタリア、シニョーリア広場。
そこから程近いヴェッキオ橋では、人々が楽しげに金細工の店をひやかし、或いは足元を流れるアルノ川を眺めつつ歓談し、また或いはカメラやビデオを構えて撮影に終始する観光客で溢れかえっている。
そんな観光地の中で、俺達二人の恰好は周囲からだいぶ浮いていた。
俺の隣を歩く男は185pを越える痩身に赤と黒を基調としたロングコートと黒い革靴を身につけて闊歩している。
性別は男性。国籍不明の人形のように整った容貌を、膝まで届くかというほどの長く艶やかな黒髪が彩る。ともすれば女性とも間違われそうな描写だが、顔は比較的中性的ではあるものの適度な男性らしさはあるし、コートの下に着用している絹のシャツに隠された胸は当然平らかだ。名を、コンキスタドレスという。本名だとは到底思えないが、長い付き合いをしていても他の名も知らないためそう呼ばざるを得ない。
当の俺と言えば、170pは一応あるはずの身長も、彼の隣に並ぶと、東洋人にありがちな童顔のせいで実際よりも幾分か小柄に見えてしまう。隣の男から「退屈そうな顔」と称される無表情も、今はきっと呆れた色を浮かべているのだろう。
「……おい」
歩みを止めることなく隣に呼び掛けると、コンキスタドレスも視線だけをこちらに向ける。
「仕事は昨日終わったはずだが、いつまでこの街に留まるつもりだ?」
「知っていることを態々人に尋ねるのは瞬の悪い癖だ。そろそろ矯正しても罰は当たらないと思うが」
飄々としたテノールで返され、俺は溜息をつく。
「知ってはいるが、言わなければおまえはいつまででも留まるだろう」
「当然だ。私はこの街が気に入っている。瞬こそ、この街並みの美しさにもっと感じ入るといい」
「ここに来るのはもう7度目だ、コンキスタドレス」
「しかし来るたびにこうも変わってしまえば、来たことがないと定義しても何ら差支えはないと思うけれどね。私が初めて来た時には、ここは金細工店でなく肉屋が並んでいた」
コンキスタドレスはクスリと微笑み、優雅な仕草で腕を広げて周囲を示す。ボタンを留めていないコートの裾と長髪が動きに合わせて翻った。
つられて辺りを見回せば、確かに来たことがある場所にも関わらず、そこにかつて訪れた時の景色は見当たらない。
自分たちの異質さを再確認させられたようで少しの虚しさが胸中をよぎるが、溜息を洩らすことでそれを追いやり、現実を見据える。今すべきが回想ではなく隣でミステリアスに微笑む奔放な男の気を変えることだ。俺自身はコンキスタドレスとは違い、いくら美しい風景であろうと、用がなくなれば思い入れもあまりなくなる。
「……景色はともかく、用が済んだのならば速やかに撤退するべきだ。公共機関での移動が面倒ならば、この間買った自家用機でも飛ばせばいいだろう」
「操縦はもちろん瞬がするんだろうね。私はあんな面倒で俗物的な乗り物の操り方など覚える気にならない」
なら何故買った、というのはもう飽きた。この男が仕事以外に自分で行うことなど皆無に等しいことは長すぎる付き合いで判っている。俺は諦めて懐から携帯電話を取り出し、飛行場の電話番号をメモリーから探し始めた。
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