人形遊び-8-
「っ、フィー!」
止めさせようとセルペンスが名を呼ぶが、フィーは聞こうとしない。否、その声すら耳に入ってはいないようだった。
――わたしは人を創造したが、これらの地上から拭い去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する――
終焉の物語が響く。
内容と酷く不釣り合いな幼い声音が、朗々と物語を紡ぎ出してゆく。
「ヤッ君……?」
無意識の声がセルペンスの唇から零れる。
幼子が綴る、創造主の物語。つい先日、自分が暇つぶしに読んでやった、人間の神の物語。あれさえ読まなければ、こんなことにはならなかったのだろうか。激しい後悔がセルペンスの胸中を蝕む。
「ヤッ君……っ、お願いだから、もう…フィーを壊すなっ……」
セルペンスの悲痛な声が天に向かって放たれる。
声が、降ってきた。セルペンスの声に応えるように。不意に聞こえた声に、園樹は驚き周囲を見渡すが、そこには誰もいない。けれど頭の中に直接響くような冷たい子供の声音と同時に、脳の奥に映像が浮かび上がる。読みかけの聖書を片手に携えた、暗緑色の髪と闇色の瞳を持つ幼い少年の姿が。
『どうして? フィーも人間も俺の玩具だよ。どう扱うかなんて俺の勝手でしょ』
いつもとなんら変わりのない、尊大な態度。
『それにね、セルちゃん。フィーは壊れたんじゃないよ? コノ子はもとからこんな。幼い笑顔も、なんにも判ってなさそうな顔も、今の操り人形も、全部がフィー。俺の造ったフィーだよ』
クスクスと無邪気に嗤う、子供特有の高い声。
「なんでっ……じゃあなんでそんなん造ったんだよっ!」
セルペンスが吐き出すかのように問う。
『そんなの簡単だよ。とっても簡単。一言で言い表せるくらいに簡単だよ。俺がフィーを造ったのはね…つまらなかったから』
ふざけた口調から、ヤハウェの心からの言葉だということが園樹とセルペンスに伝わる。心の奥深くにある本心は、ふざけたように、本心だと悟られないように言うこと。彼の癖だ。
『フィーを造ったのはタダの暇つぶし。まぁ暇つぶしで造ったにしてはかなり凝っちゃったけどね』
けらけらとヤハウェは嗤う。
『んじゃあ、実験はおわり。これ以上やっててもつまんないし面倒臭いだけだからね。人間も、動物も植物も、ぜーんぶサヨナラしようか。フィーのこと連れて帰ってきてって言ったけど、なんかもう面倒臭いしからいいや。セルちゃんも人間肯定派みたいだし、だったらいなくなった方がいいよね。気に入ってるモノと一緒に壊れられるなら本望でしょ?』
冷たい、乾いた笑い声。
『ねぇ、人間? 人間もそう思うでしょ? お前たちは酷く汚い。それこそ吐き気を催すくらいに。造るモノも壊すモノも、造られたモノも壊されたモノも。君たちの手が加わったところは全部汚い。何か反論はある? 最期だから許してあげる。人間を代表して答えてごらん、汚らしい人間』
不意に園樹に向けられ言葉。セルペンスはフィーを抱きしめたまましっかりと園樹を見詰めていた。
「言ってみな、ソノッキー、お前の言葉で神様やっつけられるかも」
セルペンスは茶化したような態度で、しかし瞳は真剣に園樹の言葉を待っている。
しかし園樹の頭の中はそれ以外のことでいっぱいだった。唐突に頭の中に響き出した声をセルペンスは神だと言い、そして彼自身もまた人間ではない事がその神の言葉から窺える。確かに普段のセルペンスは常識外の言動や行動が時折目立ったが、人外と称するには、彼は人間臭すぎた。
混乱し何も浮かばない頭の中、不意に昔どこかで聴いた聖書の一節が頭をよぎった。そしてその中にひとつの疑問が生まれる。生来の知識欲がこの期に及んで顔を出してしまったらしい。神様とやらをやっつけることはできないけれど、神様ならばこの疑問も解消してくれるのだろうか。
園樹は一度大きく深呼吸し、頭の中で喋る少年に問いかけた。
「アンタはカミサマなんですよね?」
落ち着いた、いつもの声音の園樹。ヤハウェはあくまで偉そうに胸を反らし笑った。
『そうだよ? 死ぬ直前にカミサマと話できるなんて光栄でしょ?』
「前に聖書の話を聴いてから思ってたんですけど…一番最初にあったのは、やっぱり闇なんですか?」
「聞くトコそこかよ」
知的好奇心を満たすためだけのような簡単な質問の内容に、セルペンスが呆れたように突っ込む。
『ん? ははっ、変なこと訊くんだね。そうだよ。最初にあったのは闇。ま、だからといって光あれ、とか言ったワケじゃないけど』
「そうですか。なら……」
園樹は一拍置いて、神に問いかける。
「アンタはどこから生まれたんですか?」
『自分の誕生秘話なんて憶えてないよ。気が付いたらいただけ。ねぇ、そんなこと訊いてて面白い?』
「面白いですよ。なら、アンタは誰から生まれたんですか? 闇に意志があって、アンタを生んだとでも?」
『知らないっつってんじゃん。しつこいなぁ、もう』
心底つまらなそうにヤハウェは答え、呆れた用に大きな溜息を吐いた。
『あのさぁ、人間。おまえらもうすぐ死ぬんだからさぁ、もっと命乞いとかしてみたら? 一秒くらいは考えてあげるかもよ?』
「そんなの別にいいです。それより答えてください。アンタはどうして生まれたんですか?」
園樹はなおも食い下がる。脇で眺めていたセルペンスにも、園樹が何の意図があってそんな質問を重ねるのか皆目見当がつかない。
「アンタは何時生まれたんですか? 正確な年齢は? 今までどういう風に生きてきたんですか? 何の目的で今まで生きてきたんですか?」
ヤハウェは答えない。……否、答えられなかった。
何故生きてきたのか。何のために生きてきたのか。
そんな事、考えた事もなかった。
当たり前のように時を過ごして。当たり前のように時を重ねてきた。
誰から生まれて。どうして生まれて。どうして生きてきた?
自分は、一体どうやって生まれてきた?
どんなものにでも当たり前にいる親が自分にいないのは何故だ?
……神だから? 神様だから親がいないのか?
否。どんなものであっても、親がいないなんて事はありえない。
エデンの蛇ですら、自分が基礎を創り、人間の想いや願いなどが形を造った、いわば神と人間の合作だ。
……ならば自分は? ヤハウェは、誰が、どうやって造った?
『なんで……』
声が漏れる。無意識に発した、心からの疑問。
何故、そんな事に気付かなかったんだろう。何故、今まで?
『俺は……誰が造ったの?』
どんなものにも創造主はいる。
今の世界の全てのモノは、ヤハウェが造った。たまに作成途中で放置したりもしていたが、それらはヤハウェの造ったものをベースに進化してきた。自分が、造った。
ならば自分は――ヤハウェは誰が造ったのだろう。
零からの進化なんてありえない。零から一は生まれない。
ならば、零を変えたのは、誰だ? 零を一に変えたのは…誰だ?
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