人形遊び-4-

公園から徒歩数分、園樹の自宅であるマンションの606号室。その隣の607号室がセルペンスの家だった。インターホンを鳴らしてしばらく待つと、扉越しにこの家の主がバタバタとこちらに向かってくる音が聞こえた。

「おっかえりー」
「あれ……ホントに帰ってきてた」
「まるでいて欲しくないみたいな風だねぇソノッキー。どした?」
「駅の用事、そんな早く終わったんですか」
「……おや、フィーったらもうだっこされてる」
「普通に『だっこ』って言われましたけど……」
「ソノッキーのことが気に入ったんだよ、きっと。あっちではヤッ君と俺以外に誰も居なかったし」
「あの……そろそろ抱いてるのも疲れたんですけど」
「え? あぁ、ごめん。ありがとね。……って、フィーそんなに重かったっけ?」

軽い調子で謝りながら園樹からフィーを受け取り、園樹を伴ってリビングへと向かった。フィーはセルペンスに抱かれたまま、きょろきょろと辺りを見回して小首を傾げる。

「ヤハウェ?」
「ヤッ君ならいないよ。フィーは今日からここで暮らすんだ。実験が終わるまでね。……ソノッキー、お茶は?」
「頂きます」

急に話を振られて園樹が思わず頷く。するとお茶を淹れるためセルペンスに降ろされたフィーが待っていたかのようにリビングの一人掛けソファに座った園樹を見詰めて言う。

「だっこ」

どうやら本当に気に入られてしまったようだ。いや、もしかしたら誰でもいいからだっこしてもらいたいだけなのかもしれないけれど。
しかし、どう足掻こうと自分に選択肢はないようで、園樹は仕方なくフィーを膝の上に抱き上げた。
 程なくしてキッチンから紅茶と貰い物であろう焼き菓子の乗った盆を持ってセルペンスが戻ってくる。

「紅茶でいいよね、ソノッキー? ……あれ、なんかちょっと見ない内にめちゃくちゃ疲れた顔してるけど、なんかあった?」
「セルさん」

心配そうに顔を覗き込んでくる青年を園樹はまっすぐに見詰め、口を開く。

「この子ワケ分かんないです」
「……実を言うと俺もよく分かんない。でもまぁとりあえず、だっこしとけばご機嫌だよ、フィーは」

神様の作った人形だから、という言葉はあえて呑み込み、セルペンスは苦笑を漏らしながらテーブルの上のクッキーを摘む。

「それにしてもホントに懐かれちゃったねぇ。ホントに何にもなかったの?」
「別に何もないですよ」

溜息をつきつつ紅茶をすする園樹の顔には言葉とは裏腹に疲労が濃く浮かんでいた。

「もしかしてさ、ソノッキー子供嫌い?」

 ふと思い至った可能性にセルペンスは恐る恐る尋ねる。

「嫌い、ではないですけど…かなり苦手です」
「似たようなもんじゃん。でも、そしたらソノッキーにはフィーの世話頼めないなぁ。俺の仕事中どうしよう」

言葉とは裏腹に全く困っていないような調子でセルペンスは大仰に溜息をついてみせた。

「託児所にでも預ければいいじゃないですか」
「でも俺が知らない人にフィー預けるのはちょっと…。ちゃんと見といてってこの子の保護者に頼まれたし」

あの無言の脅迫を『頼んだ』と定義していいのならの話だが。

「僕はいいんですか」
「顔見知り程度ならいっぱいいるんだけどさ、普通の知り合いっていうとソノッキーぐらいしかいないし」

どれだけ交友関係少ないんだろう、この人は。そう思うと同時に、園樹の中で嫌な予感が生まれる。それは見る見るうちに膨らんでいき、恐る恐るセルペンスを見ると、彼は滅多に見ない真面目な顔で園樹を見詰めていた。

「あぁ、困ったなぁ。ソノッキーが子供が嫌いだなんて、そんなことは想像もしていなかった。ソノッキーに頼めないんじゃこの子を一人で家に置いておくしかないじゃないか。でも、それはいささか不安というものだし……。俺が仕事を辞めるしかないのだろうか。あぁ、困った。どうしよう」

嫌らしいほどに感情を込めてセルペンスは嘆く。身振り手振りを加えて大袈裟に喚いてみせた。

「あぁ、どうしよう。俺はまだ自称二十三歳、まだまだ働き盛りだ。俺だけでも日々の暮らしが大変なのにフィーまで来たら今までの倍は金銭が必要になってくる。だがフィーを一人家に残して仕事に行くなんて、そんな非道なことは俺には出来ない。しかし仕事を辞めると金は一切入ってこなくなる。そうなっては俺とフィーは3日でのたれ死んでしまうだろう。いや、俺だけならいい。俺が死んでフィーが生き残るならば本望だ。だが俺がいなくなったら誰がフィーの面倒を見るんだ。この子の保護者は今は遠い空の下……いや、上か? とにかくとてもこの子の世話が満足にできるような状況ではない。だからこそ、彼は俺に頼んできたのにこの体たらく、あぁ、自分が情けない」

多大な嘘にほんの少しの真実を混ぜ、よよよ、と出てもいない目元の涙を拭う振りまでした迫真の演技。
若干空々しいのは否めないが、本気で困っているように見えなくもない。実際、この家に住んでいるのはセルペンス一人で、園樹は自分以外に他人が出入りしているのを見たことがなかった。
セルペンスは未だ長々と台詞を紡いでいる。闇金がどうとか言っていた。
ふと膝の上のフィーをみてみると、園樹の胸に寄りかかって熟睡していた。理解できなかったのか、飽きて眠ってしまったらしい。園樹は大きな溜息を吐き、嫌がる自分を叱咤して口を開いく。

「あの…セルさん」
「そして国外に逃亡し……って、ん? なに、ソノッキー」
「………僕が、見てましょうか?」

いかにも渋々と言った調子で園樹が言う。

「え、いいの!?」

驚きを隠せない風なセルペンスの声音に、園樹は本心とは裏腹に僅かに頷いてみせる。そうでもしなければ、このさり気なく全てを計算している隣人はここから解放してくれないだろうから。

「でもソノッキー子供駄目なんでしょ? ホントにいいの?」
「二人とか三人は困りますけど、一人くらいなら大丈夫…だと思います」
「そっか。いやぁ悪いねぇ。無理矢理やらせちゃったみたいで」

自身の長口上がそうせざるを得ないようにしたのを知ってか知らずか、セルペンスは嬉しそうに園樹の背中をバシバシと叩く。

「セ、セルさん」
「なに? あ、お菓子とかは毎日ちゃんと出すよ?」
「別に要りません。……あんまり騒ぐとこの子が起きますよ」
「へ?」

初めて気付いたとでもいうようにセルペンスは少年の膝を見、納得したと手を打つ。

「つまんなくて寝ちゃったんだねぇ。えっと、フィーのベッドはまだないから俺のベッドでいいか。俺はソファでも寝れるし」

言いながら園樹の膝からフィーを抱き上げ、自分の寝室へと運んでいく動作は、普段のおちゃらけたイメージの彼からは想像もつかないほど優しげで、園樹は思わず見詰めてしまう。

「どーしたソノッキー。かっこいい俺に見とれちゃったかな?」

寝室から出てきたセルペンスは目があったまま固まっていた園樹を覗き込み、チェシャ猫のようにニィと不敵に笑う。

「違います」

普段通り即答してから園樹は内心で溜息をついた。厄介なことになってしまった、と。


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