人形遊び-3-

「んー、もうこんな時間かぁ。ソノッキーはいるかなぁ?」

北風に髪を靡かせながらセルペンスは公園の中心で軽く溜息をつく。吐き出した吐息は白く空気に霧散した。右腕に先程ヤハウェから預かってきたフィーを大切そうに抱き、さほどの広さもない公園をぐるりと見渡した。

「いつもだったらこの時間には、ここで読書してる筈なんだけど……流石に帰っちゃったかな? 今日ちっと寒いし」

ブツブツと呟きながら首を傾げる。抱かれているフィーは真似して可愛らしく小首を傾げてみせた。

「お、いたいた」

セルペンスはにやりと笑い、公園の奥に位置するベンチに向かう。
彼の視線の先には、近隣にある高校の制服を纏った大人びた少年がベンチに座り、ハードカバーの分厚い書籍に目を通していた。利発そうな目鼻立ちの大人しい印象の少年は、藍色のマフラーを首に巻きつけ、鼻先には縁なしの眼鏡を乗せている。

「ういっす、ソノッキー」
「……セルさん」
呼び掛けに顔を上げ、少年は軽く目礼し、読みかけの本を閉じる。少年の名は田中たなか 園樹そのき。セルペンスの地球の住居のお隣さんだ。

「セルさん、その渾名いい加減止めてください」

見た感じでは絶対に自分より年上であろうセルペンスに対し、園樹は疲れたように言葉をかける。無礼にも取れる態度を気にした様子もなく、セルペンスは悪びれもない笑顔を見せる。どうやらいつものことのようだ。

「別にいいじゃん、園樹だからソノッキー。そのまんまで笑えていいだろ?」
「渾名に笑いは求めてません。というか、仕事はどうしたんですか? まだ五時にもなってませんよ?」

無感動な瞳を向ける園樹にセルペンスは楽しげな笑みを浮かべてみせた。

「ん? 仕事は今日はお休み。つーか俺自由業だから毎日営業気分で休業なの」
「……前から思ってたんですけど、何の仕事なんですか? 自由業っていうからには、小説家かなんかですか?」
「うーん、飽きっぽい俺がそんなの続けられると思う?」
「思いません」
「うっわ、即答。別に良いけど。ま、お仕事は秘密よ。いつか自分で調べてごらんなさい」

オホホ、とオカマ口調で笑うセルペンスに呆れたような顔を向け、園樹は先程読んでいた本を鞄に戻した。

「ところでソノッキー。君は歳は幾つだったかな?」

不意に改まって名を呼ばれ、園樹は思わず姿勢を正す。いつの間にかセルペンスは園樹の隣のベンチに座っていた。彼の膝の上には背中までの純白の髪と青玉の瞳を持つ、少年とも少女ともつかない幼い子供が行儀良く乗っている。

「歳? …十六ですけど」
「ならバイトは出来るな。やってみない?」
「お断りします」
「これも即答か。なんで?」

至極不思議そうに首を傾げながらフィーを両手で抱えなおすセルペンス。

「あなたの紹介するバイトはロクなものじゃないからです」
「また知ったような口を利いて」
子供のように頬を膨らませたセルペンスに、園樹は畳みかけるように早口に言葉を紡ぐ。

「今年の夏に紹介されたバイト、ただのウェイターだって言ったからやるって答えたのに、あれ完璧ホストクラブだったじゃないですか。あれはすぐ辞めさせてもらいましたけど」
「ホストもウェイターも一緒だよ。常識ないなぁ、ソノッキーは」
「アナタに言われたくないです」

睨み付けるとセルペンスは視線を明後日の方向に反らし、わざとらしく口笛など吹いている。

「……まぁ、とにかく今回のはまともだよ。スポンサー俺だし」

コホンと咳払いをしてから笑うセルペンスに、園樹は冷えた視線で答える。

「タダ働きでもさせるんですか?」
「違うよ。バイトっていうからにはちゃんとお給料出します。一時間につき百円」

時給百円。それではタダ働きとなんら変わりない。

「場所は俺の家だから安全もバッチシ。もちろん俺は気前がいいから、おやつとご飯とトイレとお風呂は保障します。俺の気分によっては給料増額もあり」

営業トークのようにすらすらと言葉を並べるセルペンスに、園樹は内心で首を傾げる。風呂の保障とは一体何なのだろう。それに園樹の家はセルペンスの家の隣だから別にそんなものは保障してもらわなくてもよかったりする。

「別に結構です。今のところバイトするほどお金に困ってはいませんから。それより……その子は誰ですか?」

園樹は青年が腕に抱いていた子供をじっと見つめる。園樹と目が合うと子供は無邪気にニコリと笑ってみせた。

「誰だと思う?」
「セルさんの隠し子」

真顔で答える少年にセルペンスは肩を落とし、苦笑を浮かべながら首を振る。

「いや、俺これでもまだ自称二十三だし。しかも子供作るにも相手が必要でしょ。よって隠し子ではありません」
「……拾ってきたんですか。でも間違いなく犯罪なので、今すぐに元いた場所に返してきてください」

真面目すぎる表情で公園に隣接する交番を指差す園樹に、セルペンスは脱力したようにがくりと肩を落として再び首を横に振った。

「なんでそういう展開になるんだかなぁ。拾ってもいません。えっとだな、この子は俺の知り合いっつーかなんていうか……孫、じゃなくて、従弟じゃなくて……えっと、あれだ。えっと……」

 ブツブツと呟きながら言葉を探している青年を見ながら園樹はしばし考え、彼が言いたいのであろう言葉を呟く。

「……親戚、ですか?」
「そうそれだ! シンセキ」

やっと出てきた、と浮かんでもいない額の汗を拭い、セルペンスは大仰に溜息をついてみせた。

「なんでその単語が普通に出てこないんですか。でもこの子とセルさん、全然似てないですよね」
「当たり前だろ。俺の母方の叔母さんの父方の大叔父さんの娘の息子の従兄弟の嫁の兄の子供だからな」

胸を張って答えるセルペンスに、園樹は再び考え込む。そして結論が出たのか、ゆっくりと口を開いた。

「……他人じゃないですか」
「気にするな。まぁとにかく、今まではここからかなり遠い所に住んでたこのシンセキの子を、ちょっとした事情で今日からしばらく俺の家で預かることになりました。つーことで、遊んだげて下さい。それが俺の頼みたいバイト」
「……はぁ」
「キミの対応に地球の運命かかってるから。んじゃ俺は――」

微妙に意味不明な説明に飽き始めたので適当に相槌を打ちながら園樹は思う。
この人が子供の世話なんかできるのだろうか。放っといても枯れないはずのサボテンを購入一週間にして再起不能なほどにまで枯れさせたこの人が。明日、隣の家に救急車が来たら嫌だなぁ……。

「――……つーことでソノッキー、なんかあったらケータイの方に電話してちょ」

 園樹が我に還ったときには、セルペンスはそんな言葉と子供を園樹に押し付け駆け出していた。

「え、あ、ちょ…セルさん!? この子一体どうすれば……行っちゃった」

既に影も形も見えなくなった隣人の奇行に溜息を吐きつつ、自分の膝に大人しく座っている子供に目を向ける。子供は零れそうなくらいに大きな瞳でジッと園樹を見詰めている。そして何が楽しいのかニパッと微笑んでみせた。
園樹も何も言わずにじっと子供を見ていた。愛らしい顔に見とれていたのではない。
田中園樹は子供が殺人的に苦手だった。あの何を考えているか判らない瞳。脈絡のない、無意味極まりない行動。その一つ一つが彼の心を逆撫でするのだ。
場の雰囲気に押し切られるように何となくに頷いてしまったが、このバイトはどう考えても自分には不向きであることが痛いほどに理解できる。
園樹は諦めたように大きく溜息をついてから、己の膝に座る子供に目を向けた。

「えっと……とりあえずキミ、名前は?」
「…………フィー?」

今の間は何だ。何故自分の名前なのに疑問系なんだ。
園樹は再び大きく嘆息した。一体これが何度目の溜息なのか、別に知りたくもないが思わず考えてしまう。

「おなまえ……?」

不意に子供の顔が間近に迫り園樹は思わず軽く身を引いた。大きな瞳が至近距離でじっと園樹の瞳を覗きこんでくる。驚きで一瞬止まった思考がフル回転し、子供の質問を脳内でリピートした。

「へ? あぁ、名前ね。僕は田中園樹。フィー君、だっけ。よろしく」

本心ではあまりよろしくしたくはないが、一応子供の手前それを出さないよう、少々強張った笑みを浮かべてみせる。

「ソノキ……?」

子供は教えられた名前を口の中で繰り返し、覚えたとばかりに大きく頷いて愛らしい仕草で微笑んで見せた。

「で……何すればいいんだっけ」

園樹はセルペンスの去り際の言葉を必死で思い出し、そして幾度目かの重い溜息を吐き出した。

『んじゃ、俺はちょこっと駅の方で用事すませてから帰るから。あ、でもこの子連れてくワケにもいかないしなぁ。そうだソノッキー、どうせ暇だったんなら少し遊んであげてよ。これからもたっくさん相手してもらう予定だから、今の内に仲良くなっときな。……つーことでソノッキー、なんかあったらケータイの方に電話してちょ』

随分と自分勝手な言い草だ。まぁセルペンスの場合は今に始まったことではないが。

「遊んであげて、か……」

遊ぶのは別に構わなくもないが、一体何をして遊べというのだろう。おそらくここで『一人で遊んできなさい』的なことを言っても構わないのだろう。けれど仮にも人の家の子供を預かった身としてはあまりにも適当すぎるのではないだろうか。しかしだからといって、一緒に滑り台やブランコなどをしてやる気は毛頭ない。

「えっと…フィー君は何して遊びたいのかな」

結局自分では解決策を思いつかなかった園樹は、預けられた当人であるフィーに意見を聞いてみることにした。

「ヤハウェ……」
「……は?」

ヤハウェ、とは何なのだろうか?
子供が呟いた言葉は園樹には聞いたことのない名称だった。もし玩具の類ならば勝手に遊んでいればいいのだが、ゲームの名前ならば一緒にやらなくてはいけないのだろう。

「えーと、それはどういう遊びなのかな」

戸惑いながら問うと、フィーはぶんぶんと首を横に振る。どうやら遊びではないようだ。

「……仕方ない。セルさんに訊くか。もしまだ帰ってきてなかったら僕の家で待ってればいいことだし」

園樹はそう結論づけると園樹はフィーを膝から降ろし、ベンチから立ち上がった。
迷子にさせるといけないと思い手を差し出すが、フィーは物言いたげに園樹を見詰める。

「ん? どうしたの?」
努めて柔らかく話しかけると、フィーはしばし園樹を見詰め、ポツリと言う。

「……だっこ」

随分と甘ったれた子供だとも思ったが、ふとセルペンスの言葉を思い出す。

『今まで遠い所に住んでた』

『しばらく俺の家で預かることに』

ひとりでこんな見知らぬ所に来て心細くないはずがない。しかもこの地で唯一と言っていいのかもしれない親戚も勝手に何処かに行ってしまい寂しいのだろう。そう思って家に着くまでくらいなら、とどこか不安そうに見える子供を抱き上げる。
フィーは抱き上げられると嬉しそうに園樹の首に短い腕を巻き付かせてきた。園樹は今日で何度目か知れない溜息を吐き、空いた手で隣に置いておいた鞄を持つと自宅に向かって歩き出した。

「それにしても……この子ものすごく語彙が少ないんだけど」

会話を成立させるのに多大な労力が必要だろう事を予想し、園樹は今日で一番大きな空気の塊を口から吐き出した。

「そいえば、セルさんの用事ってなんなんだろ……?」


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