人形遊び-2-

「んな訳ないじゃん、馬ッ鹿じゃないの?」
部屋の中央を陣取る木製の大きな揺り椅子に腰掛けた少年が小馬鹿にしたように小さく喉を震わせ、堰を切ったように笑い出した。項までの長さの暗緑色の髪が少年の動きに合わせて揺れる。
真っ白な空間。全てが無垢な色に染められた部屋は十二畳ほどの広さがあった。入り口の正面に設置された大きな窓からは、純白のレースカーテンを通して柔らかい光が差し込んでいる。敷き詰められたシミひとつない高級そうな絨毯には、色とりどりの子供用の玩具が至る所に転がっていた。
少年は窓に背を向けるようにして悠然と座り、部屋の主である白い髪を背中まで伸ばした幼い子供を膝に乗せている。彼の膝に大人しく乗っている、三、四歳ほどの子供は、突然笑い出した少年の様子に驚いて彼を見上げ、きょとんと青玉の瞳で見詰めた。

「あのさぁ、ヤッ君? 仮にも聖書だからそんな馬鹿みたいに笑い転げないでよ、漫画じゃあるまいし」

少年の様子を呆れた目で眺め嗜めるのは。肩に付く程度の不揃いなチョコレート色の髪の項の辺りを紐で軽く括っている二十代半ばあたりの青年。右手には、先ほど少年に読み聞かせてやっていた分厚い聖書を携えていた。

「だってさ、俺が地球に造ったのって土台の火山だらけの陸と、水が出来た後に造ったプランクトンくらいだよ? それをこーんなに美化っつーか改造しちゃってさ。妄想もいいところだよね」

少年は未だ嘲るように笑いながら自分の膝に座る幼い子供の頭を優しく撫でた。撫でられた子供は嬉しそうに瞳を細め、少年の細い首に腕を回して抱きつく。

「そりゃまぁそうだけど……一応これを心の支えにしてる人間だって沢山いるんだよ?」

しかし言葉とは裏腹に片手に持った聖書を脇に放り投げ、青年は苦笑を漏らす。この世のすべてを創造したとされる目の前の幼い容貌をした創世神ヤハウェに対するにはひどく軽い、まるで聞き分けのない弟に言うような口調だ。

「そんなの知らないよ。俺、神サマだもん」

自らを神と称す少年は、未だ己の首に強く抱きつく子供を宥めながら片手で己の額にかかった髪を煩わしげに払った。

「人間が信じる神は彼らに対して傲慢で、残酷で、親切だ。……でも俺は人間なんて汚くてつまんないモノに情けなんてかけられない。同じ地球のモノなら植物とかを愛でてる方がずっとマシ」

呟きつつ愛しそうに闇色の眼を細めて子供の体を抱きしめる。子供は一層嬉しそうに声を上げ、ヤハウェの体を抱きしめる力を強めた。

「傲慢で残酷、ねぇ。まぁ確かに今の創世の話のちょっと後くらいにこの神様、大洪水起こして生物のほとんど皆殺しにしてるしね。ほら、このへん」

一度は放り投げた聖書を拾い上げ、セルペンスは該当箇所を開いてみせる。ヤハウェは揺り椅子に座ったまま一瞥し、そして悪戯を思いついた子供のように瞳を輝かせた。

「そうだ。いっそさ、それみたく人間も何もぜーんぶ流しちゃおうか? そうすれば掃除にもなるし、星自体が汚されてるんなら、それこそ聖書にあったみたいに造り直せばいいしね。で、全部滅んだところに、また最初のプランクトンみたいな新しい生命体の基礎創ってあげれば、また勝手に進化していくでしょ」

そうしよっか、と膝の子供に柔らかく微笑みかけ、ヤハウェは子供を抱いたまま立ち上がる。纏っている白く長い衣がさらりと微かな衣擦れの音を立てた。

「んじゃ、そうと決まれば早速始めようか。えーっと……」
「あ、ちょっと待った。あのさぁヤッ君。言い出した俺からこう言うのは大変恐縮なんだけど、そんな大規模極まりないこと軽くやっちゃっていいの? 仮にも一応人間だけで軽く60億以上いるんだよ? 動植物その他入れればすっげー数になる。それをイキナリ消すってのはどーかと思うぜ、俺は」
「別にいーじゃん。どれだけ集まってたとしても塵は塵に変わりはないでしょ? なら掃除と思って一掃しちゃえばいいじゃん。ねっ、フィーもそう思うだろ?」

ヤハウェはふと腕の中の子供に問いかける。子供は小首を傾げてヤハウェとセルペンスを見比べた後、一度だけ大きく頷いた。

「ほら、フィーだっていいって言ってる」

腕の中のフィーを強く抱きしめ、ヤハウェは満足げに青年に向き直る。

「言ってはねぇよ。つか話マトモに理解してないでしょ、フィーは」

フィーの様子に青年は大きな溜息を吐き、ヤハウェの腕から守るように抱き取り、床に降ろしてやった。
フィーは不思議そうに彼らのやりとりを見ていたが、床に降ろされると側に転がっていた玩具を拾い上げ、すぐに無心に遊び始めた。

「あっ、俺のフィー取るな」

ヤハウェは玩具を取り上げられた子供のような表情で頬を膨らませ青年を睨み上げる。しかし無邪気に遊ぶフィーの邪魔をしようとはしないようで、軽く溜息を吐き、肩を竦めおどけてみせる青年に向き直る。

「じゃあセルちゃんはどうするべきだと思う。人間は、地球の生命体は滅びるべきかな?」

青年、セルペンスはしばし熟考するように沈黙する。

「俺? 俺はぁ……やっぱりここまで進化してきたんだから、このまま生かしておいても良いと思うぜ。ほら、最近『環境問題』って言葉が出来たじゃん? 別にこのまま放っといても、壊したモノは少しずつ自分たちで直していくと思うけど」

考えながらゆっくりと言葉を紡ぐセルペンスをジッと見つめ、ヤハウェは口を開く。

「俺はセルちゃんほど人間のコト信用できないよ。存在がまず汚いし、奴らの手が加わった所はどんどん汚されていく。進化した技術で造られるモノは自分たちの星を直すモノではなく更に壊していくモノばっかり。挙げ句の果てに権力とか名誉とか、大したことない、下らない理由で同士討ちコロシアイ。そんなものをどうして信じられるの?」

まっすぐな瞳でセルペンスを見つめるヤハウェ。強い光を宿した瞳にセルペンスは一瞬気圧される。

「というかさ、何でその地球に住んでるエデンの蛇セルちゃんがここにいるの? 呼んだ覚えはないんだけど」

唐突に話を変えるヤハウェに内心苦笑しつつ、セルペンスは軽薄そうな笑みを紫紺の瞳に浮かべる。いつの間にか自分の足元に居たフィーを優しく抱き上げ、あやすように背を叩いてやった。

「たまたま近所で布教してたおばちゃんに貰った本読んでたらさ、ヤッ君の名前とか俺のこととかが出てて面白かったから、見せてあげようと思って持って来たんだよ。俺的には『神』や『蛇』っていう存在は同じでも、俺たちとは性格とか役割が全然違うところが興味深かったかな。俺が人間誑かしてヤッ君に怒られてるところとかね。実際はそんなことしてないけどさ。……ヤッ君怒らせると怖いし」
「まぁそういうところは面白いかもね。人間の妄想や自らの愚かさが書き連ねてあるところとか。でもそっか。セルちゃん地球に住んでんだよね。じゃあセルちゃん家だけ無事になるように洪水起こすよ」
「え……無理くない? 俺ん家マンションだし。……いや、ヤッ君なら出来るし、やりかねないか」
「んじゃあ早速始めようかぁ。えっと、とりあえず……」

うきうきと実行の様子を想像しているヤハウェに多少青ざめ、セルペンスは口を開く。

「ヤッ君さ、やるのは構わないけど、自分で事後処理できんの? この前の部屋掃除みたいに『めんどくさいからやっといて』的な展開はヤなんだけど」
「別にいいじゃん。セルちゃん地球で毎日遊んでんだしさ。つか理由が激しく自己中なんだけど」

藪蛇となった己の言葉に後悔しつつ、セルペンスはなんとかヤハウェを思いとどまらせようと思考する。まだあの土地は離れたくはない。まだまだやりたい事がいっぱいあるのだから。しかしそれを正直に言ったところでヤハウェが思い止まるとはセルペンスには思えなかった。

「あーほら、でもさヤッ君? んなことしたら毎日地球見て遊んでるフィーにも悪影響じゃね? ほら、視覚から得る情報も性格とか成長には大事な役割を果たしてるっぽいし。こんなに純真無垢なフィーが、万が一にもヤッ君みたいな天邪鬼系元気少年に育ったら……それもまぁ可愛さ満点だけど、もう一緒にお風呂入ってくれなさそうだ」
「………入ってるの、俺のフィーと」
「フィーも俺も人間の生物学上男だから一緒に入っても何ら問題ない。フィーだって喜んでるし。……だからそんな怖い顔で振り向かないでクダサイ」
「フィーは俺の人形だ。セルちゃんにだって渡さない」
「あ、そうだったっけか。あ〜、確かヤッ君がほんの気紛れで、話し相手として造ったんだっけ? 俺がヤッ君と会ったときはもういたよな。でもそっか。もうそんな前になるのかぁ……って、なんでこの子こんなに成長してないわけ? たしか会ったときからこのくらいだったよな? あのヤッ君だって初めて会った時、三千年くらい前だったか? そん時から俺の拳一個分くらい大っきくなってるよ?」

腕の中のフィーを覗きこみ、呟く。不思議そうなセルペンスに今度はヤハウェが呆れたような視線を向ける。

「人形なんだから成長なんかするわけないじゃん。というかそろそろうるさいから黙ってくれない、セルちゃん。洪水どういう風にするか考えたいから」

くるりと踵を返し窓の方へと向かうヤハウェを、セルペンスなるべく刺激せぬよう慎重に呼びかける。

「ねぇ、ヤッ君」
「ん〜? なにセルちゃん?」
セルペンスの呼び掛けに、窓辺で楽しげに思考を巡らせていたヤハウェが再びくるりと振り返り、態とらしい上目遣いで小首を傾げてみせる。しかし目は氷のように冷たく、再三思考を邪魔された怒りが見え隠れしていた。

「ヤッ君さ、人間は汚いから嫌いなんだよね?」
「うん、そう。だって汚いモノがあんなに沢山あったらフィーに悪影響だもん」
「う、まぁ一理ある。でもさ、あれって見てると意外と結構面白いモンなんだよ?」
「え、そうなの? ……でも別にフィーいるから構わないよ」

さりげなく自分を外されたことに肩を落としつつ、セルペンスは気丈に洪水に思考を巡らせる神に語りかける。

「あのさ、ヤッ君、地球生命体抹殺の前にちょっとした実験しない?」
「実験?」

なにそれ、とヤハウェは小首を傾げて自分より大きな親友を見上げた。

「そっ。 地球在住の人間を一人サンプリングして、生活とかをリサーチすんの。これから新しい生命体造る時のモデル的実験って意味合いでさ」
「んー……まぁ悪くはないかもね。確かに汚いけど、今の地球上で最高の知能と技術を持ってる人間の良い所と悪い所を徹底的に観察すれば、今よりもっとマシな生命体造れるし、無駄がないね。で、サンプルってどうやって決めるの?」

やっと提案に乗り気になってきた様子のヤハウェに、セルペンスはフィーを床に下ろして軽くウィンクしてみせる。

「まかせて。とっておきのを用意しておくから。さてと。んじゃ、俺はサンプルの準備しに一回帰るよ」

フィーを床に降ろし早口に言い去っていこうとするセルペンスに、フィーは元気良く手を振った。

「……ねぇ、セルちゃん。フィーも連れてかない?」

今まさに扉を開けようとしていた背中にかけられたヤハウェの一言に、セルペンスの動きが止まる。

「…………はい?」
「だから、『フィーも地球に連れて行く気ない?』って訊いてるんだけど」

聴いてた? と自分の腰元にあるフィーの頭を優しく撫でながらふわりと微笑むヤハウェ。けれどその笑顔とは裏腹なねっとりと絡みつくように甘い声音に、セルペンスは僅かに引きつった顔でゆっくりと振り返る。

「いや、聞いてたけど。……ヤッ君が自分からフィーを手元から放すなんて言ったから驚いちゃったんだよ、俺は」
「フィーだって社会見学は必要だよ。確かに地球は汚くて悪影響だけど、セルちゃんが一緒にいるなら安全でしょ? サンプルってのも、俺の代わりにフィーに直接見てきてもらいたいしさ」

花が開いたように微笑み小首を傾げてみせるヤハウェと目があった瞬間、セルペンスの背を氷塊が滑り落ちた。
これはヤハウェの脅迫。実験が無意味な物であることを既に見抜いているような、冷たい瞳の笑顔。優しげな声を出そうと完全に作っている声音をヤハウェ風に訳すと、

『無意味極まりなくて、なおかつ果てしなく下らないものにわざわざ付き合ってあげるんだから、きっちり成果出さなきゃどうなるか判ってるよね? フィーはセルちゃんの見張りだから』

となる。それを肌で感じてセルペンスはぎこちなく頷く。

「お、おう。まかせとけ…。フィー、行こう」

力無い笑みを浮かべ、何も判っていないように微笑みながら足元に駆けてきたフィーを抱き上げる。
こういうところを見ると改めてフィーがヤハウェの人形であることが思い知らされる。主の意向を読み、反応する。そこに本当のフィーの意志は存在しない。否、こうやって無邪気に微笑んではいても、元から自由意志や思考などあるかどうかも怪しいものだ。

「なんせ創造主はヤッ君だしなぁ」
「なんか言った? セルちゃん」

セルペンスの無意識の呟きにヤハウェは上目遣いに友人を睨みつけた。

「何でもないよ。んじゃ、早速行ってきます」

おどけた口調でそう告げ、セルペンスは僅かに早足に去っていった。友人の後姿をひとり見送り、ヤハウェはポツリと呟く。

「人間は脆くて汚いからキライ。……もしセルちゃんがあいつらの味方になるなら…」

俺はセルちゃんも殺すかもしれない。
静かな呟きは誰の耳にも届くことなく純白の空気に溶け込んだ。


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