人形遊び-10-

「……理解は、しました。納得はしてませんけど」

不機嫌そうな声音の園樹。そんな様子に闇は少しだけ困ったような仕草で彼の顔を覗きこんだ。

「ふむ。ならばどうすれば納得してもらえるのだろう。しかしわたしとしては納得する必要性はないように思うのだけれど」
「僕も別にしようとは思いません。だけど、教えてください。これから、どうするんですか? 頭の中の声の人のように、地球を壊す気ですか?」

園樹の硬い声に闇はふふっと笑って首を横に振った。

「とんでもない。わたしはここが酷く気に入っているよ。それに」

闇は一旦言葉を区切り、クツクツと喉の奥で笑う。

「例え実行しようと思っても、そんな事はもう出来ない。言っただろう? わたしは人間には不可侵なんだよ。それなのに己の力の全てで以て幼き神を創造してしまったからな。わたしにはもう創造つくる力は存在しない」

そう言って闇は哀しそうに笑う表情には、既にフィーであった頃の面影はない。

「わたしができることは、ただ見守るだけなんだ。この世界にただ一つの、高い知能を持つ人間達をね」

だから、と闇は続ける。

「わたしはもう一度眠ることにするよ。幼き神に埋め込まれた人形としての人格も、まだ多少残っている。闇であるわたしは今一度眠り、幼き神に仕事を任せよう。人間を見守り続けるという仕事を」

闇は柔らかく微笑む。しかし園樹はそんな闇を不機嫌な顔で見下ろした。

「随分と自分勝手ですね。自分の仕事なら自分でやればいいじゃないですか。他人に任せるのは失敗の原因ですよ」
「耳が痛いな。……ならばどうすれば良いというのだ、人間? 幼き神を無に還し、わたしが再び見守る役目に就けばいいと?」
「それは、ヤッ君が……死ぬってこと?」

セルペンスの震えた声での質問に、ヤハウェはビクリと怯えたように震える。

「彼やわたしに死はない。ただの消滅だ。かつてあの宇宙空間にあったような完全な無。生まれたところに還るだけ」
「なら、どうするんだよ?」
「それを人間に訊いているのだよ、エデンの蛇」

さらりと返され、セルペンスはぐっと押し黙る。

「さて、再度問おう、人間。わたしが如何にすればこの事態は善い方向に解決するのかな?」

 何の感情も見受けられない闇の口調。園樹はしばし考え、ゆっくりと口を開く。

「わかりませんよ、そんなこと。別にどうにでもなればいい。さっき言われた人間は汚いってコトだって間違ってはいない。寧ろ的を射てると僕は思います。それより、訊いても良いですか」
「お前は本当に質問が多いな。人間とは皆そうなのか?」
「アンタはどうして出てきたんですか? フィーのままでいれば、ここまで悪くならなかったかも知れないんですよ?」

苦笑が交じった闇の言葉に聞く耳も持たず、園樹は問う。闇はうっすらと微笑んだ。まるでその問いを待っていたかのように。

「ほう、それもそうだ。だがわたしは自ら望んで目覚めたのではないよ。起こされたんだ、お前に」
「僕に……?」
「お前が幼き神を言葉で揺さぶりさえしなければ、彼は己を見失いはしなかった。幼き神が己を保っていれば、わたしは彼の人形であるフィーでいられた。お前の所為だよ、人間」

 闇はクスクスと笑う。そして園樹の反応を見るように彼を覗き込んだ。

「お前は、何が最善だと思う? 揺さぶられた幼き神はもう今までのようにはいられない。自分のルーツを知ってしまった今ではね。エデンの蛇も、この現実を知った以上は今までのように暮らせはしない。全ての崩壊の原因となったお前はどう対処する?」

 園樹はぐっと押し黙る。どうすればいいかなんて判らなかった。でも、たぶん……

「もしも……もしもアンタが消えたら、どうなりますか?」
「ほう、それは考えたことが無かったな。わたしも知らない内に保身をしていたと言うことか。……それもいいかもしれないな」

闇は僅かに驚いた様に目を見開き、そして満足げに微笑んだ。園樹を見詰める眼差しは酷く優しい。

「それが、お前の思う最善なのだな」
「……わかりません」
「いい案だと思うよ、とても」
「……そんなこと、ないです。誰かが消えなければ保てない世界なんて――」

なくなっても構わないのかもしれない。例え人外の闇や神であろうとも、消える必要なんて本当はないのに。今更ながら酷い提案をしたものだと自己嫌悪に陥る。俯いた園樹を、闇は心配そうに覗き込んだ。

「闇があれば光がある。だが、光がなければ闇もまた存在しない。わたしは会った事はないが、恐らく闇はわたしだけではない。もっとまともな性格をした闇も何処かにいるだろう。そうだな……太陽あたりにでもいるかもしれない。お前たちに関わらないところで『闇』は存在し続ける。わたしという個人が消えるだけだ。個人が消滅するなんてコトは日常茶飯事だろう?」

死んだり、殺されたり、な。
闇はふわりと微笑みゆっくりと全員に視線を向ける。表情は酷く穏やかで、園樹は顔を背ける。どんなことを言っても、結局自分は彼に死ねと言ったも同然なのに、何故そんな優しげな、満足そうな瞳ができるのだろう。

「僕は……」

口ごもった園樹を遮るように闇はふと口を開く。

「だがな、ひとつ問題がある」
「問題?」

セルペンスの問いにひとつ頷き、闇は考え込むように目を閉じた。

「わたしは、わたしの殺し方が判らない。今までの間、わたし以上のモノや、わたしを消そうとするモノも居なかった。だから、わたしはわたしの殺し方が、死に方が判らない。身体の構造からして、おそらく人間とはだいぶ異なるだろうから、刃物や銃器などでは無理だろうな。急所でも狙えば別なのだろうが、わたしには自分の急所が判らないから難しいだろう」

己を殺す方法を思案しながら困ったように園樹を見上げる闇。首を傾げてみせる仕草は外見年齢通りで可愛らしいのだが、呟く内容はいささか物騒すぎた。

「……そうだな。人間たちは神話などで、わたし達のような霊的な存在を殺す際には『神殺しの剣』とやらを多用しているようだ。わたしにはもう造れないが……幼き神ならばできるかもしれない」
『お、れ……?』

闇の言葉にずっと黙っていたヤハウェが顔を上げる。脳内に浮かんだ映像に向かって頷き、闇は微かに微笑む。

「人間の理想をもとにして生まれたお前は、今のわたしと違って造る力がある。おそらく幼き神のみでは難しいだろうが、想像力の根元とも言える人間の力を借りれば不可能ではない。人間のイメージを自分のイメージと重ね合わせて実体化していけば、それは生まれるだろう」

 闇は言い、ヤハウェに問い掛ける。

「お前はどうしたい? 幼き神よ。わたしを消したいと、唯一神でありたいと思うのならば、わたしはもう必要ない。お前が望むのなら、私は潔く消えよう」

 闇は答えを促すかのように優しく、哀しげに微笑う。

『俺は……俺、は……』

 ヤハウェは自分を落ち着けるかのように一度瞳を閉じ、ゆっくりと開いた。

『俺は、お前なんかいらない。俺以上の存在なんて必要ない。俺以外に偉そうな存在なんていらない。俺は親なんていらない。俺を造った奴なんて見たくもない。こんな汚い所を創った奴なんて必要ない。人間なんて汚い奴らを黙って見てた奴なんか邪魔。お前の全部が俺にとって邪魔。今すぐにでも消えて欲しいくらい。でも……』

ヤハウェは一端言葉を区切り、何かを躊躇うように俯いた。皆が、次の言葉を待って沈黙する。

『でも、アンタはいらないけど……フィーには、居て欲しい。アンタとフィーは同じだって言ってたけど、アンタみたいなのがフィーな訳ないじゃん。俺はアンタは大っ嫌いだ。心から軽蔑してる。でもフィーは俺の人形だ。アンタなんかじゃない。だからアンタだけ消えてフィーを返して。アレは俺の人形だ!!』

ヤハウェの心からの言葉にセルペンスは沈黙する。彼がフィーを目に入れても痛くないほど可愛がっていたことを思い出しているのだろう。
園樹も黙っている。心配そうに闇を見遣っていた。存在を否定された闇がどう出るかが心配なのだろう。

「それがお前の答えか。幼き神よ」

闇は微笑んだ。フィーならば決して見せない表情で、哀しそうに、満足そうに微笑んでいた。

『何回も言わせないでよ。アンタなんかいらない。さっさと消えてフィーを返して』

ヤハウェはいつも通りの尊大な口調で闇に命令する。

『人間、さっさと剣想像してよ。俺さっさとこいつ消したいから、一発で消せるようなカッコイイやつ。ホントはお前なんかの手を借りるのは汚いからイヤなんだけど、フィーを取り返すためだから仕方なくやってやる。有り難く思えよ』

いつも通りの、自分中心の偉そうな口調中に不自然なモノを感じ取り、セルペンスは眉を顰めるが、あえて黙って園樹の行動を待っていた。

「本当に、いいんですか?」

複雑な表情をした園樹の問いに、ヤハウェは大きく頷く。

「わかりました。じゃあ…――」

園樹は諦めたように頷き瞳を閉じる。頭の中に形作るのは両手で持てるくらいの片刃の剣。だがファンタジーなどの知識に疎い所為か、典型的なものしか浮かばない。

『ふーん…そんなので良いんだ。もっと格好良くしろよ』

園樹の心を読んだのかヤハウェが口を挟んでくる。

「これで精一杯です」

必死に集中しながら園樹が答えると、ヤハウェは呆れたように大きな溜息をついた。

『……仕方ないなぁ。んじゃあこれで決定っと』

言葉と同時に空から降ってきた物があった。それはすっかり暗くなった空の黒を引き裂くようにアスファルトの地面に突き刺さる、氷のような輝きを秘めた剣。鋭利な先端から、柄までをなだらかな曲線を描く刀身の幅は、広さに比べ厚みが殆ど無く、カッターナイフの刃をイメージさせたが確かな硬さを持っているようだ。全体的に小振りだが柄や刀身にも細かい装飾が施され、柄の先には藍色の宝石が中心に埋め込まれている、両手で持てるくらいの大きさの片刃の剣。

『なんかお前の想像だけじゃつまんなかったから色々付けてみた。これなら格好いいし、サクッとそいつ殺せそうでしょ?』

脳内に響く楽しそうな、心の底から楽しそうなヤハウェの声。

『ほら人間、さっさと刺してそいつ消してよ。汚れた仕事は汚れた物がやるのが当たり前でしょ?』

剣を見て硬直している園樹をヤハウェは楽しそうにけしかける。セルペンスは止めるでも促すでもなくただ園樹を見守っていた。

「その必要はないよ、人間。わたしの始末はわたしが付ける」

困惑したように佇んでいる園樹を見上げ、闇は優しげな声音で言う。

「だが……人形のみ残すのは難しいだろう。アレはわたしの抜け殻。うまくわたしだけ消えられれば良いのだが」
「………やります」

呟く闇を遮り、決心がついたのか園樹は断言する。
セルペンスは黙したままだったが、じっと園樹を見守っていた。

「平気です。……ひとつ、訊いてもいいですか?」

園樹は闇をしっかりと見詰め、問いかける。

「わたしにか。何だ?」
「この剣は、僕の想像を元に作られたんですよね。その剣に別の効果を考えたとしたら、採用されるんですか?」

真剣な表情で問いかける園樹に、闇は頷く。

「ああ。幼き神が変えることが出来るのはごく僅かな外見のみ。基本的に人間の想像が絶対の物となり、最優先される筈だ」

闇の言葉を聞き、園樹は少しだけ安心したように息を吐き、アスファルトに刺さったままの剣をゆっくりと引き抜いた。優雅な見た目に反して酷く軽い剣はあっさりと園樹の手に収まる。中学の時に習った剣道の構えを思い出し、切っ先を闇に向けて下段に構えた。

「ごめんなさい」

構えたまま呟かれたのは謝罪。闇に対して、隣人であったセルペンス、ヤハウェ、そしてフィーに対しての、心からの謝罪。自分が余計なことをしなければ、こんなコトにはならなかったのに。

「……ごめんなさい」

再度呟き、己よりも背の低い闇の頭部目掛けて振り下ろされる刃。闇は静かに瞳を閉じ、刃を受け入れる体制だった。

「……っ」

 その様子を見ていられずセルペンスは目を背ける。

『ばいばい、俺の創造主……』

ヤハウェの囁きと同時に刃が闇の体に食い込んだ。


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