Bijou Vert-7-

 午後、マリアとソウルイーターは迎えに来た馬車に乗りフェヴェッツェ公爵家へと向かった。
 ミルカの影響力か、フェヴェッツェ公爵家に着くと二人は下にも置かない扱いを受け、応接間に通された。マリアは当然の如くソファに腰掛け、ソウルイーターはボディーガードという役割上そのソファの斜め後ろに立っている。

「グレゴリオは……」
「じきに来るだろう。フェヴェッツェ公は奴をひどく気に入っている故」

 そんな会話をしているうちに応接間の扉が重々しく開いた。そして召使に先導され、フェヴェッツェ公が入室してくる。

「マリア嬢、昨日の今日で再び合間見えるとは光栄の極み。しかも此度の訪問はミルカ殿ではなくマリア嬢のご意見と耳に挟んだのですが」

 フェヴェッツェ公はソファに座ったマリアの前に傅き、その手の甲にキスを落とした。マリアはさりげなくその手を引き、服の影でそっと手の甲を拭う。

「如何にも。先日の礼と共にフェヴェッツェ公にお尋ねしたい議があった故、急な訪問をお許しいただきたく」
「何、マリア嬢のような愛らしい姫ならばいつでも訪ねていただきたいものです。して、その議とは?」

 フェヴェッツェ公が話を聞く体制になった時、応接間の扉がノックされ、紅茶と茶菓子を載せたカートを押した男が入ってきた。

「あぁ、グレゴリオ。マリア嬢にお茶を。紅茶は如何いたしましょうか、姫?」

何も入れなくていい、と仕草で示しながらマリアは紅茶を運んできた男を盗み見る。
均整の取れた体躯の背の高い男だった。フェヴェッツェ公自身も長身の部類に入るが、グレゴリオはそれよりも更に高かった。体に無駄な肉は一切なく、鼻筋の通った美男子とも言える顔つき。茶色の髪は短く刈り込んであるが、それはそれで彼の精悍な雰囲気を引き立てていた。
 マリアの前に紅茶を置いたグレゴリオがふと目を上げる。その視界に入ったのは彼女の胸に下がった緑色の宝珠。

「っ……!?」

 はっとして顔を上げるとマリアの背後には見覚えのある男の姿。
 一体何故これが、こいつがこんなところに……

「これがどうかしたかや、グレゴリオ殿?」

 グレゴリオの動揺を素早く見抜いたマリアが落ち着いた声音で問いかける。ソウルイーターもグレゴリオの気配に気付いているのか静かに見つめていた。
 グレゴリオは宝珠とソウルイーターから目を離せぬままじりじりと後ずさる。

「グレゴリオ?」

 フェヴェッツェ公が不審げに呼びかけるが、それすら耳に入らないようだ。

「な、何故………」

 己も知らぬうちに口から零れる、震えた呟き。

「何故お前がここに……ソウルイーターっ!!」
「ソウルイーター、だと…?」

グレゴリオの咆哮が応接間に響く。突然のことにフェヴェッツェ公は困惑した様子で、しかしマリアを守るように背に庇った。

「グレゴリウス殿、何故この宝珠を?」

フェヴェッツェ公の背後からマリアが尋ねる。

「はっ、女はそいつから訊いてたか。……それさえあれば俺は成り上がれる。それを売った金で地位を上げることも夢じゃないんだよ」
「私欲、か」

ソウルイーターが冷えた声で呟く。
その時、ずっと黙っていたフェヴェッツェ公がグレゴリオに歩み寄った。

「グレゴリオ…どういうことだ?」
「あ……」
「私はお前にとっていい主人となれるよう心がけてきたつもりだ。それなのに何故、私を裏切るような真似をするのだ?」
「……あんただって知ってるだろ。こいつは悪名高い『魂喰らい』だ。こいつが盗んだことにして、俺がそれを取り返したことにすりゃあ名も上がるだろう。だがこいつは俺と別れてすぐに行方を眩ませやがった。俺もそこまで暇じゃねぇから、探すのが遅れちまったがな。……俺はあんた達と違って貴族つっても没落貴族なんでね。金や名誉のためなら何だってしてやる」

 端正な顔を見にくく歪ませ笑うグレゴリオに、マリアは僅かに嫌悪感を露にして言い放つ。

「たわけが。金は働けば稼げる。名誉は真面目にしておれば自然とついてくるものであろう。この宝珠は、自身を拾ったフェヴェッツェ公の顔に泥を塗っても構わぬほどに魅力的なものではないはず。違うかや?」
「はっ、きれいごとは聞き飽きたね。この際だ、あんたらもろとも殺して宝珠を奪い取ってやろう」

 吐き捨てると同時にグレゴリオは隠し持っていたマッチを擦る。火のついたマッチは一瞬にして燃え上がり、グレゴリオの手の中で火の玉となった。その魔力によって複数に分裂した火の玉はマリアとソウルイーター、フェヴェッツェ公に勢いよく襲い掛かった。
 マリアは扇で跳ね返そうとし、思いとどまる。跳ね返すことは可能だが、それでは家に被害が出る。自分の家ならばまだしも、ここはフェヴェッツェ公の屋敷だ。被害はできるだけ最小限に抑えたい。
 そんな一瞬の躊躇いが、マリアの火の玉への反応を遅らせた。気がついたときには炎はマリアのすぐ傍まで迫っていた。

「……っ!?」
「姫!」

 フェヴェッツェ公がマリアを庇おうとした刹那、炎は急速に弱まり僅かな煙を残して掻き消えた。

「な、何だ……何をした!?」

 グレゴリオが混乱して喚く。再びマッチを擦ろうにも何故か体に力が入らず、無様に膝をついてしまう。

「一体何を……ソウルイーター……っ!?」
「エナジーを吸い取っただけだ。全部は取っていないから死にはしない」

 ソウルイーターの静かな声に、マリアははっと我に返る。

「汝……」
「怪我はないか?」

 ほとんど視力がないにも関わらず、心配ではなく確認のようにソウルイーターは尋ねる。

「あぁ、大事ない。汝は?」
「何ともない。さて、万屋の店主の頼みごとだ」

 ソウルイーターは懐から店主から預かったレシートを取り出し、大理石の床に膝をついているグレゴリオにそれを突き出した。

「宝珠代と迷惑料を合わせて五百リガだそうだ。出来れば早く渡してやりたいから即金で支払ってくれ」
「五百リガ、だと……ありえねぇ。家一軒買えるじゃねぇか」
「それも欲にまみれた結果。妾も店主と約束した手前、早々に払ってたもれ?」

 扇で己の胸元へ緩やかな風を送りながらマリアは高圧的に微笑む。
 グレゴリオは項垂れる。そして低く呟いた。
「払えるかよ、んな額……こりゃもう死ぬしかねぇな」
「ま、待て、グレゴリオっ!」

 フェヴェッツェ公の静止も聞かず、グレゴリオは力の入らない腕でマッチを擦る。弱く灯った炎を見つめ、そして何の躊躇いもなくマッチもろとも炎を飲み込んだ。
 激しい爆音と爆風が応接間を駆け抜け、咄嗟に扇を盾にしてマリアは目を閉じた。
 爆風が止んでマリアが目を開けると、先ほどグレゴリオがいた場所には人間と同じ大きさの炭が転がっていた。

「……何が、あった?」

 惨状が見えないソウルイーターが呟く。しかしそれに答えられる心の余裕は、マリアとフェヴェッツェ公にはなかった。
←6    8→
文章部屋へ