Bijou Vert-3-
「何と仰せになられても、通行手形無しにはまかりなりませぬ」
関城で案の定、マリアは憲兵に通せんぼうを食らった。思えば、少々迂闊であったか。理知的な彼女も、このときばかりは怒りに身を任せて出てきてしまっていた。しかし、今更母のもとへ戻る気もない。
「(…とにかく、この関城の前をうろうろしているわけにもゆかぬか)」
訝しげな顔で憲兵がこちらを見ている。財布もないのだから、憲兵に金を握らせることもできない。
マリアは、黒髪を風になびかせて踵を返した。美麗な顔に、険しい色が浮かぶ。その様子を、折りしも眺めていた者がいる。馬上のその者は、ひとり微苦笑した。そして、黒い愛馬をマリアのもとへと近づけた。
「また御転婆と見えまするな、マリア嬢」
蹄の音を聞きつけたマリアは、さっとレースの扇を払い口元を隠した。扇から覗いた黒曜の瞳には、爛とした光がある。
「こんな所でまみえるとは奇遇よの、フェヴェッツェ公」
強い語気で、マリアは相手の貴公子の名を言った。馬上の貴公子は目元の笑みを深める。
「ここは我が隊の管轄でありますれば」
「なるほど、それは…」
マリアはその後の言葉を飲み込んだ。
「まことに迂闊であった」。
この貴公子の顔も、母から渡された写真の中に入っていた。扇の陰で、マリアの表情がまた険しくなる。そんなこととは露知らず、フェヴェッツェ公はマリアの姿に見惚れている。
「国をお出に?」
「セリカスタンの叔父のもとへ参るのでございます」
「ほう、東に叔父上がおありか」
「急用ゆえ手形を忘るれば、難儀いたしておりまする」
「くっく。噂に聞く御転婆の姫とは、まさに」
楽しげに笑う貴公子に、マリアは警戒の色を弱める。この男の、感情を包み隠さぬところにはマリアも好感を持った。
「我が命でこの関を通すこともできようが、いささか困りまするな」
「妾も貴殿のお手を煩わせたくはありませぬ」
マリアのはっきりした物言いに、貴公子は苦笑を滲ませる。
「ならばせめて、お館までお送り申そうか」
「……では、西の森の外れまで」
マリアの頭に、ある考えがひらめいた。この関は大きすぎて堅固だ。だが、やや西へ行くと小さな関門しかない。あるいはそちらなら人知れず通れるかもしれない、という望みだった。
マリアを自分の後ろに乗せたフェヴェッツェ公は、手綱を握った。風を切って走る馬上で、彼の背につかまったマリアは思う。
この男は、親切をしたと思っているだろう。自分の求婚を断った女だとも知らずに…。
そんな事情さえなければ、もしかすると友には為り得たかもしれない。マリアは少し残念に思った。
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