Bijou Vert-1-

シアド大陸。
この世界にある四つの国家が集結する場所。


その周囲は名もない小さな島が無数に存在し、それぞれの国家の領土となっている。
そのひとつである北方の領邦国家メイデレーク。
しかし領邦国家といっても領主が領民を不必要に縛ることはなく、商人はおろか、平民が近隣の領地に引っ越すことさえも、広く認められていた。また国外からの移民にも寛容で、四つの国家の中では2番目の人口を有する。
主な産業は毛織物をはじめとする工芸品、南北でも大して寒暖差の少ない大陸で唯一の寒冷な空気を生かした野菜や果物等の農作物だった。
世界の台所、そして独特の和風文化を担う七つの領邦から成るこの国家の一領主、グラナド領フォーカロル公爵家。
その朝食の席で、本日一族の存続に関わる問題が人知れず発生していた。
きっかけは、フォーカロル家を仕切る女領主、ミルカ=フォーカロルの一言だった。

「マリア、先日渡した写真はもう見てくれたかえ?」
茶碗に盛られた白米を噛み締めながら自身の娘であるマリアに向ける視線は、領民達から「鉄」と称される彼女からは想像出来ない、子供を心配する母親のそれだった。

「…写真?」

母親の言葉にマリアは口に運びかけていた沢庵を皿に戻した。

「写真とは、妾の卓に置いてあったあの見合い写真のことを?」
「それ以外に何があろうや。此度もそなたの嗜好に合わせた見目麗しい殿方を見繕ってきたが」

娘の答えを待つように一度言葉を切り、ミルカは楽しげに向かいに座る黒曜の瞳を覗き込む。しかしマリアは背中に流れる黒漆の髪を揺らし、不満げに眉を顰めた。

「母上、幾度申し上げればわかっていただけるでしょうや。妾は結婚などする気はありませぬ。ましてや母上の決めた政略結婚ならば尚の事」

朱色の箸を置き、意志の強そうな真っ直ぐな瞳で母親を見据える様は次期領主に相応しい威厳に満ちていた。
けれどミルカも慣れたもので、楽しげな瞳で娘に対応する。

「政略結婚など人聞きの悪い。そなたも今年で御歳十六。十六と言えば妾はとっくに父上を婿に入れていた年齢じゃ。此度の行動も全てそなたの為を想ってのこと。何ゆえその様に哀しい事を言うのやら」
「母上からの見合いの話は此度で十八回目。そろそろ妾も我慢の限界。それ故…」

一呼吸置き、マリアは傍らに置いていたレースの扇を手に取り立ち上がる。
そして母親を見下ろす形ではっきりと言い放った。

「これ以上母上に同じことを繰り返しても時間の無駄でございましょう。妾は家を出まする」

母親の反応を見もせずに踵を返し、その足で玄関に向かう。途中エントランスで長年の子守係であるラナとすれ違うが何も言わずにそのまま扉を潜った。

「一月少々家を空ければ、母上も少しは考えを改めるであろうな。まったく、迷惑な話じゃ」

ひとり呟き、煩わしげに頭を振り、レースの扇を拭くノ袖に仕舞う。
空を仰ぎ雲ひとつない青空にこれからの天気を予想すると、屋敷を囲む森へと足を向けた。

「まずは…そうじゃな、国内にいても母上の采配ですぐに他の領主達に見つかってしまおう。ならば少々足を伸ばして東にでも行って見るかの。あそこはここよりも軍事的な魔術が発達しているらしいし」

朝の冷えた空気を吸い上機嫌のマリア。袖口から取り出したレースの扇でコルセットを締めた胸元に緩やかな風を送った。





魔術、と聞いて、どんなことを思い浮かべるだろう。
蝋燭や怪しげな香水で悪魔を呼びだすオカルトチックなものだろうか。
それとも蔓延るモンスターを一撃で倒す焔の玉や氷の矢、どんな傷や病気もたちどころに治してしまう治癒魔法など、そんなファンタジックな「剣と魔法の世界」だろうか。
近いが、遠い。
シアド大陸をはじめとするこの世界にはファンタジックでオールマイティーにどんな魔法でも使うことの出来る魔術師は存在しない。
例えば、代々焔系統の魔術師の家系の生まれならば焔の魔術。気性が荒い性質ならば攻撃系、穏やかな性格ならば補佐系で日常的に使用できる魔術。
そういった風に、血統と本人の適性で使える魔術は決まってしまう。故に国で魔術師団を作るのならば国籍を問わず様々な術者をかき集める必要があった。
しかし様々な国籍となると戦争の際、己の出身国の勝利の為に裏切りを謀るものが現れないとは限らない。そのせいか、軍事面で魔術を取り入れた国は東の絶対主義国家セリカスタンしか存在しなかった。
また地域や血によっては魔術が全く使えない家系も多数存在する。そんな一族は家を挙げて武術に励み、それぞれの国の治安を守る兵士として、あるいは他の国に雇われる傭兵としての役割を持っていた。
だが世界に存在する国家は僅か四つ。領土も均等に配分されているのでそもそも軍などの必要性はないはずだ。
故にセリカスタンの敵はひとつ。凶悪な犯罪を犯した罪人である。
近代、かつては「野蛮だ」「気味が悪い」と互いに敬遠していた魔術師と武術家が結託した犯罪が増えている。そんな罪人を国を問わず捕らえ、裁く司法機関がセリカスタンだった。



マリアの実家であるフォーカロル家は代々風の魔術の家系だ。彼女の扇から流れ出す風は香りを運び、空気を奪う。目に見えない分、相手に警戒されづらい能力。
昔から気性の激しい者が多いが、領邦国家ということで他の国に比べ己の領地を、ひいては自国を愛する気持ちが強いので、犯罪らしい犯罪もなく、国籍を問わず魔術師をかき集めている東の司法軍事には殆ど関わることはなかった。
マリアの子守役のラナはセリカスタンの出身で、マリアは彼女から東の話を幾つか聞いて前々から興味を持っていたのだ。
しかし彼女は気付いていない。勢いのまま身ひとつで飛び出したため、通行手形パスポートはおろか財布すら持っていない彼女が国外へ出る方法は限られていることに。
もちろん、この世界でも不法入国は犯罪だった。

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